係り結び
係り結び(かかりむすび)は、ある文節が係助詞によって強調され、あるいは意味を添えられた(係り)場合に、それを直接の連用要素とする述部の最後尾要素が呼応して特定の活用形に決まる(結び)という文法規則をいう。古典日本語や琉球方言を含む一部の日本語の方言で用いられるが、現代標準日本語においてはほぼ消失している。係り結びの法則ともいう。
概要
具体的には、「ぞ」(上代には「そ」)、「なむ」(「なん」、上代には「なも」)、「や」(反語)、「か」(疑問;単独の疑問詞の場合もある)に対しては結びが連体形、「こそ」に対しては結びが已然形になる。
例:
- 音 聞こゆ(終止形)→音ぞ聞こゆる(連体形)
- 今 別れむ(終止形)→今こそ別れめ(已然形)
また、「は」、「も」は結びが終止形になる係助詞である。なお、「は」、「も」の係り結びを認めない立場もある(新典社『係助詞と係結びの本質』、勉誠出版『かかりむすび考』など)。
上代(奈良時代以前)には形容詞の活用形が揃っていなかったため、「こそ」に対し形容詞の連体形が用いられている例がしばしば見受けられる。
本居宣長は、係り結びの一覧表である『ひも鏡』(1771年)をまとめ、『詞の玉緒』(1779年)で詳説した。文中に「ぞ・の・や・何」が来た場合には文末が連体形、「こそ」が来た場合は已然形で結ばれることを示したのみならず、「は・も」および「徒(ただ=主格などに助詞がつかない場合)」の場合は文末が終止形になることを示した。主格などに「は・も」などついた場合に文末が終止形になるのは当然のようであるが、必ずしもそうでない。主格を示す「が・の」が来た場合は、「君が思ほせりける」(万葉集)「にほひの袖にとまれる」(古今集)のように文末が連体形で結ばれるのであるから、あえて「は・も・徒」の下が終止形で結ばれることを示したことは重要である。なお、「徒」は現代言語学のゼロに当たる。
係り結びを係助詞の歴史の一部として捉える半藤英明によれば、係り結びは係助詞の機能である「取り立て」と、係り結び本来の意義であった「強調」の二面性を持つ構文法で、古代語から現代語への変化のなかで「強調」の実効性が失われたため、消滅した[1]。山口仲美も現代語が論理性を重視するようになったことで、係り結びが消滅したとしている[2]。
係り結びを構文法としては捉えない立場もある。舩城俊太郎は係り結びが文の成立・不成立には直接かかわらないとして「修辞」的な文、すなわち現代語の間投助詞のようなニュアンスの構文と見ている[3]。
山田孝雄は、係助詞が陳述に影響を及ぼすとしている[4]。そこから、係り結びも活用の拘束のみを指すのではなく、文全体に働くとする見方がある。これが「は・も」や現代語の係り結びという考え方につながる。ただし、活用の拘束を表現形式とする係り結びの意味づけは現代語と切り離すべきとする立場もある[5]。
起源
「降り来る雨か」(万葉集265)のように「そ」「なも」「や」「か」を終助詞的に用いる例も上代からある。大野晋によればこれが本来の用法で、倒置法によって(「雨か降り来る」のように)係り結びが生じたという[6]。
その他に、現代語の「ノダ文」(フォーカスのノダ)に対応し焦点形成に関わるものと捉える考えもある[7][8]。
また生成文法理論の立場からwh-移動(英語などで疑問詞が文頭に現れる規則)に類似のものとする考えもあり[9]、その他にもいくつかの説が提案されている。
一方、已然形は本来は下の句に接続する形であり、「こそ-已然形」は現代口語の「・・・ですが」のように言い切らない形として起こったと考えられる。
その後の影響
上代・中古・中世と多用された係り結びだが、中古あたりから「結びの破格」(定まった活用形で結ばない形式)がみられるようになる。一般的には係り結びの規範意識の低下と結び付けて理解されることが多いが、「こそ-連用形」など余韻・余情を表すためにあえて用いられたものもある(半藤英明『係結びと係助詞』大学教育出版)。
係りがない(係助詞の省略)のに結びが連体形となる用例が、平安時代末から鎌倉時代にかけて増加した。室町時代以降に用言の終止形と連体形の区別が一部を除きなくなった原因の1つは、ここにあるといわれる。
「こそ-已然形」の係り結びは室町時代まで残り、現在でも一部の方言には残る。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」のように、ことわざ等に残ったものを耳にする機会も多い。「ぞ」は係り結びは残っていないものの、現代でも「これぞ」「さぞ」のように形式化して用いる。
琉球方言には「どぅ-連体形」の係り結びが残るほか、特有の形式として「が-未然形」がある。