丼物
丼物(どんぶりもの)とは、ご飯とおかずを別の器に入れて食べていたものを、一つの丼鉢(丼)に盛った日本の料理形式の一つである。
これは大流行した事から、様々なものが同様に盛って食べる事につながった。
料理の名称に「丼」と付けばすべてが丼物であるわけではなく、元々蓮華を使用している料理を皿飯に載せたものをそのような名称とする事もある(麻婆丼など)。
歴史
日本食の中ではそれほど古い歴史をもつ食事形式ではなく、室町時代の「芳飯」が似た料理であるが、天丼は浅草の「三定」(創業1837年)が始まりだと言われ、鰻丼は19世紀初めに登場し、深川丼は江戸時代末期に作られたといわれている。
江戸で一杯盛り切り飲食物を提供する店を「慳貪屋(けんどんや)」と呼んでおり[1]、忙しい時に素早く食べるためにも便利な食事なので、そのような階層に広まった食事方法だったとされる。明治初期には牛丼や開化丼、1891年に鶏肉を鶏卵でとじた親子丼が登場した。大正時代の1913年にカツ丼が発表された。このように、丼物の様式は日本で受容され、様々な料理を丼飯に載せて食べる事が広がっていった。
食べ方
古来、日本の上流階級の食事は、主食であるご飯とおかずが別々に配膳され、それを一箸ごとに口に運ぶという様式を基本としていた。今でも主食におかずを乗せることを忌避する人も残るほどである。
しかし、江戸の町人文化が開花するとともに、短気で飾らない職人たちの食文化は広がりを見せる。人々はぶっかけ蕎麦(のちのかけそば)を常食とし、その他のおかずも飯の上にぶっかけた。各種大衆料理本などの著書である遠藤哲夫は、『ぶっかけめしの悦楽』『汁かけめし快食學』でそれらを解説している。また、1983年の「実践講座 台所の美味学」には「カツ丼も、親子丼も、天丼も芳飯―汁かけめし、の系譜につながる」と記述されている。NHK出版『「うつわ」を食らう』の著名著者神崎宣武も「中世から近世に入るまで、一汁一菜形式の食事の前は、ぶっかけ飯が主流、と想定してよいでしょう。日本食の原形として、ぶっかけ飯は見逃せないということです」と、熊谷真菜の『ふりかけ』で述べている。
このようにおかずをご飯の上にたっぷりとかけた丼物は、今でも時間がかからず気取らない食事として好まれ、階級を越えた代表的な和食として海外にも紹介されるに至っている。
なお丼物の蓋は、出前か否か、また料理によって使用するかしないかは様々である。天ぷらなど、蒸さずにカリカリとした衣の歯応えを残す場合は蓋をしない。
丼物各種
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- Katsudon and miso soup by jetalone.jpg
- Tokyo Chikuyotei Unadon01s2100.jpg
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