上杉 勝義(うえすぎ かつよし、1792年10月18日(寛政4年9月3日)- 1858年9月6日(安政5年7月29日))は、出羽国米沢新田藩の第4代藩主。上杉勝熙(米沢藩主・上杉重定の長男)の四男[1]、米沢藩主上杉斉定の弟。米沢新田藩第3代藩主・上杉勝定の甥で養子。正室は勝定の娘。官位は従五位下、駿河守、佐渡守。
文化12年(1815年)6月21日に勝定の養嗣子となり、同年11月9日に家督を継いだ。天保13年(1842年)3月9日に家督を甥で養子の勝道(兄・斉定の子)に譲って隠居し、安政5年(1858年)7月29日に死去した。享年67。
脚注
- ↑ 『上杉鷹山』(吉川弘文館)では三男。
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