フランドル

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フランドルテンプレート:Lang-nlテンプレート:Lang-frテンプレート:Lang-de)は、旧フランドル伯領を中心とする、オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。

概説

「フランドル」という呼び方は、元々フランス語から由来されている地域名である。日本では英語由来のフランダース(Flanders 、ただし英語での発音はフラーンダズに近い)もよく使用され、歴史学では古くからのオランダ語の発音に基づくフランデレンフランデルンフラーンデーレン(Vlaanderen)も使用される。ドイツ語ではフランダーンもしくはフランデアン(Flandern)である。

フランス王家ヴァロワ家傍系(ヴァロワ=ブルゴーニュ家)のブルゴーニュ公フィリップ(豪胆公)とフランドル女伯マルグリットが結婚し(1384年)、フランドルはブルゴーニュ公国の一部となった。その後、シャルル突進公が1477年に戦死すると、シャルルの娘マリーとのちの神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の子孫であるハプスブルク家がフランドルを含むネーデルラント17州を継承した。

宗教改革期の16世紀、ネーデルラントのプロテスタント勢力は、スペイン・ハプスブルク家に対する反乱を起こした(八十年戦争)。北ネーデルラントはプロテスタント勢力が制圧し、ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ王国の前身)として独立を果たすが、南ネーデルラントではカトリック勢力が巻き返し、ハプスブルク家側に留まった。

なお、中世にフランドル伯領であったフランス北部地方はフランドル・フランセーズ(Flandre française)と呼ばれている。

フランドル絵画

フランドル絵画(ネーデルラント絵画)は、都市の経済的な繁栄を背景にフランドルで発展した。15世紀に初期フランドル絵画の隆盛が見られ、ファン・エイク兄弟が確立した油彩画の技法はイタリア・ルネサンスにも大きな影響を与えた。また、バロック期にかけてルーベンスらが活躍した。

ヤン・ファン・エイク(1390年頃 - 1441年)
初期フランドル派の画家。
ハンス・メムリンク(1435年 - 1494年)
ドイツのゼーゲンシュクタット出身。フランドルで活躍。
ヒエロニムス・ボス(1450年頃 - 1516年)
現在のオランダ(ベルギー国境近く)にあるス・ヘルトーヘンボスに生まれ、生涯を過ごしている。
ピーテル・ブリューゲル(1525/30年 - 1569年)
生地はブラバント地方のブレダとする説もあるが、不明。アントウェルペン、ブリュッセルで活動した。
ピーテル・パウル・ルーベンス(1577年 - 1640年)
ドイツのジーゲン生まれ(アントワープ出身の両親の亡命先)。イタリアで活躍した後、アントワープに戻って活動を続けた。

なお、レンブラント(1606年 - 1669年)やフェルメール(1632年 - 1675年)は八十年戦争(1648年終結)後のオランダで活動しており、オランダ絵画とするのが妥当である。

フランドルの人物

外部リンク

関連項目