フェリックス・ワインガルトナー
テンプレート:Infobox Musician テンプレート:Portal クラシック音楽 エドラー・フェリックス・パウル・ワインガルトナー・フォン・ミュンツベルク(Edler Felix Paul Weingartner von Münzberg, 1863年6月2日:ザーラ(オーストリア帝国領ダルマチア。現・クロアチア) - 1942年5月7日:ヴィンタートゥール)は指揮者、作曲家。ユダヤ系。標準ドイツ語の発音に近い「フェーリクス・ヴァインガルトナー」と表記される場合もある。
生涯
4歳の時に父親の死去により、一家とともにグラーツに移る。グラーツ時代から音楽の勉強を始め、音楽評論家エドゥアルト・ハンスリックの知己を得て、1881年にハンスリックの推薦でライプツィヒ大学に入学。初めは哲学を専攻するが、程なく音楽に身を投じグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。ヴァイマルではフランツ・リストの弟子となった。1882年にはリストの推挙を受け、彼の作品を上演する機会に恵まれたが、安定した生活を求めて作曲家から指揮者に転じた。
1885年にケーニヒスベルク、次いでダンツィヒ、ハンブルクの各歌劇場の指揮者となる。1889年にマンハイム国民劇場のホーフカペルマイスター、1891年にはベルリン宮廷歌劇場(現、ベルリン国立歌劇場)の首席指揮者となり、1898年まで務めた。1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場(現、ウィーン国立歌劇場)とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(当時は常任指揮者制)の音楽監督に就任した。歌劇場の方は3年で辞任(後に1934年~1936年のシーズン音楽監督に復帰している)したが、ウィーン・フィルの常任は1922年まで続いた。途中、1919年にはウィーン・フォルクスオーパーの音楽監督も兼ねた。
1934年から1936年にはザルツブルク音楽祭にも出演した。また、1898年以降イギリスのオーケストラにしばしば客演し、南北アメリカにも単身渡米での客演やウィーン・フィルとのツアーで訪れている。1937年に朝日新聞と日墺協会の招聘で、4度目の夫人(3度目とする書物もある)で指揮の弟子でもあったカルメン・テューダーとともに来日、夫婦で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を指揮した。ナチの勢力拡大とともにパリに逃れ、第二次世界大戦勃発直前にロンドンへ向かい、最後はウィーン辞任後定住していたスイスに戻り、1942年5月7日にヴィンタートゥールの病院で亡くなった。
弟子にはハンス・スワロフスキー、ヨーゼフ・クリップス、シクステン・エッケルベリ、クルト・ヴェス、ゲオルク・ティントナー等がいる。
レコーディング
ワインガルトナーの初レコーディングは、1910年に自作の歌曲を、3番目の夫人(諸説ある)でもあるソプラノ歌手ルシール・マルセルの共演を得て録音したのが最初である。1923年にはオーケストラを指揮してのレコーディングを開始。以後、ワインガルトナーの残した録音は、米コロムビアに残した若干数を省くとすべてEMI(英コロムビア時代も含める)からのリリースである。1999年に、新星堂と東芝EMIの企画で、ワインガルトナーのEMI録音をすべて網羅した24枚組のCDセットを販売した他、現在では、代表的な録音がナクソス・ヒストリカルやオーパス蔵から異なる趣向の音質でもリリースされている。
- 合奏協奏曲Op.6-5(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 合奏協奏曲Op.6-6(1939年、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団)
- 歌劇「アルチーナ」抜粋(1939年)
- ハイドン(当時。レオポルト・モーツァルト説を経て、現在はエトムント・アンゲラーが真の作曲者とされる)
- 交響曲全集
- 「ハンマークラヴィーア」管弦楽編曲版(1930年3月26日 - 31日、(旧)ロイヤル・フィル)
- 三重協奏曲(Vn:リカルド・オドノポソフ、Vc:ステファン・オーベル、Pf:アンヘリカ・モラレス、1937年10月20日・21日、ウィーン・フィル)
- ピアノ協奏曲第3番(1939年6月10日、Pf:マルグリット・ロン、パリ音楽院管弦楽団)
- 「プロメテウスの創造物」序曲(1933年11月14日、ロンドン・フィル)
- 「エグモント」序曲(1937年10月19日、ウィーン・フィル)
- 「エグモント」間奏曲第2番、"クレールヒェンの死"(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
- 「フィデリオ」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
- 「献堂式」序曲(1938年10月7日、ロンドン・フィル)
- 「アテネの廃墟」序曲(1940年2月29日、ロンドン響。ワインガルトナー最後のレコーディング)
- 11のウィーン舞曲WoO.17(ベートーヴェンの真作かどうか疑わしい)(1938年10月7日・8日。ロンドン・フィル)
- ピアノ協奏曲第1番、第2番(1938年、Pf:エミール・フォン・ザウアー、パリ音楽院管)
- 「前奏曲」
- 「神々の黄昏」より『ジークフリートのラインの旅』、『ジークフリートの葬送行進曲』(パリ音楽院管)
- シュトラウス一家(ヨハン・シュトラウス2世、ヨーゼフ・シュトラウス)
- 「春の声」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
- 「千一夜物語」(1931年4月8日、ブリティッシュ響)
- 「無窮動」(1929年5月3日、バーゼル管)
- 「ピチカート・ポルカ」(1929年5月3日、バーゼル管)
- 「酒・女・歌」(1929年5月3日、バーゼル管。1939年7月22日、パリ音楽院管)
- 「美しく青きドナウ」(1927年1月28日・1月30日、(旧)ロイヤル・フィル)
- 「天体の音楽」(1930年4月1日、(旧)ロイヤル・フィル)
作曲家としてのワインガルトナー
7曲の交響曲や管弦楽曲、いくつかのオペラ、室内楽などが残され、交響曲や管弦楽曲、室内楽曲には録音も存在する。師であったライネッケや曲を演奏会で積極的に取り上げたブラームスの影響を多分に受け、時代からすれば比較的明快な和声と堅固な構成に支配された作品が多数を占める。特に交響曲では1、3、4番などに見られるような、牧歌的なものが多くを占めるのも特徴である。一方で、同じユダヤ系で同じ名前を持つメンデルスゾーンの作風との類似も指摘されている。 現在録音されたワインガルトナーの作品のうち主だったものはバーゼル交響楽団をマルコ・レトーニャが指揮しcpoレーベルに録音した交響曲、管弦楽曲集である。この一連の録音によって、少しずつではあるが作曲家としての再評価がなされている。
主な作品
作曲
- オペラ
- 『シャクンタラ』作品9(1884)
- 『マラウィカとアグニミトラ』作品10(1886)
- 『ジェネシス』作品14(1892)
- 『カインとアーベル』作品54(1914)
- 『小人夫人』作品57(1916)
- 『寺子屋』作品64(1920)
- 『親方アンドレア』作品66(1919)
- 『背教者』作品72
- 交響曲
- 第1番ト長調 作品23(1898)
- 第2番変ホ長調 作品29
- 第3番ホ長調 作品49 『オルガン付き』(1908-1910)
- 第4番ヘ長調 作品61
- 第5番ハ長調 作品71
- 第6番『悲劇的、1928年11月19日を偲んで』ロ短調 作品74(第2楽章はシューベルトの「未完成」の第3楽章のスケッチを下敷きにしたもの)
- 第7番ハ長調 作品87(1935-7)
- 室内楽
- ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番ニ長調op42-1
- ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第2番嬰ヘ短調op42-2
- 折りふしの綴り~ピアノのための8つの小さな叙情的描写op4
- その他
編曲
- ベートーヴェン:「ハンマークラヴィーア」
- ベートーヴェン:「大フーガ」Op.133
- ウェーバー:「舞踏への招待」
- シューベルト:交響曲ホ長調D.729
- シューベルト:「夜と夢」
著作
参考文献
- 高橋昭「フェリックス・ワインガルトナー 著書と論文そして世界初の全曲録音とベートーヴェンの交響曲の前人未到の業績」『クラシック 続・不滅の巨匠たち 忘れえぬ名演奏家96人』音楽之友社、1994年。
- 歌崎和彦『証言/日本洋楽レコード史(戦前編)』音楽之友社、1998年。
- 新忠篤「大指揮者ワインガルトナーの録音を辿って」『ワインガルトナー大全集 ライナーノーツ』新星堂、1999年。
ポスト
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