トサミドリ

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テンプレート:Infobox トサミドリは、日本競走馬。1940年代後半から1950年代初頭にかけて活躍した。競走成績・種牡馬成績が認められ、1984年には顕彰馬に選出されている。

兄弟も極めて優秀で半兄にタイホウ(繁殖名大鵬帝室御賞典目黒記念オールカマー。父シアンモア)・セントライト(日本競馬史上初の三冠馬。顕彰馬。父ダイオライト)・クリヒカリ(旧名アルバイト、皐月賞天皇賞(秋)。父シアンモア)の3頭のGI級優勝馬がいる。母フリッパンシーの最後の産駒である。

略歴

  • 年齢は旧表記(数え年齢)に統一する。

競走馬時代

1948年9月11日のデビュー戦をレコードで制したトサミドリは、3歳を4戦3勝2着(クビ差)1回という好成績で終えた。翌1949年、緒戦こそハナ差の2着に終わったものの、その後は連勝し通算8戦6勝2着2回で皐月賞に挑んだ。1番人気に押されたトサミドリは2馬身差で快勝。次走のオープン戦を61kgの斤量で制し、優駿競走(日本ダービー)に大本命として臨んだ。だが、裂蹄気味で調整が上手くいかず、さらにレースでは人気薄の先行馬達に競り掛けられて暴走し、トサミドリは19番人気タチカゼの7着に敗れた。しかし次走の4歳特別をレコード勝ちすると再び連勝を始め、菊花賞セントライト記念を含む9連勝で4歳シーズンを終えた。なお、この年の最終戦は71kgの斤量を背負ってのレコード勝ちであった。

古馬となった1950年、勝ち鞍を2つ加え11連勝としたトサミドリの連勝は、75kgの斤量を背負った京都記念(春)5着敗退で止まった。次走もタチカゼに惜敗を喫したトサミドリは、天皇賞(春)には向かわず休養に入る。

休養明けの札幌記念[1]を勝利したトサミドリは、その勢いのまま1番人気で天皇賞(秋)を迎えた。ところが、優勝確実と思われた矢先、外側にいたエゾテツザンの斜行を受けて落馬競走中止[2]。優勝したのは前年のダービーを波乱のなか競走中止で終えたヤシマドオターであった。

天皇賞後は東京杯をレコード勝ち以外に勝ち鞍を挙げられず、東京杯の後に出走した春の天皇賞は2着、引退レースとなった秋の天皇賞では最下位の5着に終わり、競走馬を引退した。

種牡馬時代

種牡馬となったトサミドリは、ダービー馬1頭(コマツヒカリ)、天皇賞馬3頭(キタノオートサオーガーネツト)を含む八大競走優勝馬7頭輩出という、内国産馬として歴史に残る成功を収めた。最終的に産駒は通算1135勝を挙げ、2011年5月7日フジキセキに抜かれるまで、内国産種牡馬の最多勝記録を保持していた[3]

主な産駒

血統表

トサミドリ血統ブランドフォード系 / White Eagle・Lesterlin 4×5=9.38%、St. Simon 5×4=9.38%、Melton 5×5=6.25%、Galopin 5×5=6.25%)

*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Athasi
1917 鹿毛
Farasi Desmond
Molly Morgan
Athgreany Galloping Simon
Fairyland

*フリッパンシー
Flippancy
1924 黒鹿毛
Flamboyant
1918 鹿毛
Tracery Rock Sand
Topiary
Simonath St.Simon
Philomath
Slip
1909 黒鹿毛
Robert Le Diable Ayrshire
Rose Bay
Snip Donovan
Isabel F-No.22-b

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:日本中央競馬会・顕彰馬 テンプレート:皐月賞勝ち馬

テンプレート:菊花賞勝ち馬
  1. 現在の札幌記念とは施行馬場、距離ともに異なる。
  2. エゾテツザンは2着入線したものの、この行為が咎められ失格となっている。
  3. フジキセキ産駒、JRA勝利数7位&内国産種牡馬1位に | News | 競馬実況web | ラジオNIKKEI 2011-05-07閲覧