ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ

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テンプレート:Pathnav テンプレート:サッカークラブ ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(ジェフユナイテッドいちはら・ちばリザーブズ、JEF UNITED ICHIHARA CHIBA RESERVES)は、かつて存在した日本サッカーチーム。日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するジェフユナイテッド市原・千葉のアマチュアチーム(クラブではない)であった。略称および呼称はジェフリザーブズ

名称

2006年にチーム名を「ジェフユナイテッド市原・千葉アマチュアチーム」から「ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ」に変更したのに伴い、正式な略称としてジェフ・クラブを採用していた。

ただし、クラブとしての「ジェフユナイテッド市原・千葉」が呼称として「ジェフユナイテッド千葉」、略称として「ジェフ千葉」を採用しているのに合わせて、ジェフユナイテッド市原・千葉クラブジェフ千葉クラブと呼ばれることがあった。

名称に「クラブ」が付いているが、ジェフ・クラブ自体は独立したサッカークラブではない。あくまでも「ジェフユナイテッド市原・千葉」というクラブの一チームである。

2007年には、さらに「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」にチーム名を変更している。文字通り、トップチームの予備軍としての位置づけとして、トップチームのレギュラーに取って代わる選手を育てるといった意味合いがある。

なおジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズとは別に第1種登録のサテライトチームがJサテライトリーグに参加していたが、サテライトの大会が2009年で廃止となったため、事実上ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズがトップチーム直下(第2位)のクラスであった。

概要

チーム自体の元々の創設は1995年。2000年にジェフユナイテッド市原・千葉に吸収されて、現在の同クラブの下部組織のチームとして正式に発足されたのは2003年である。

アマチュアチームは、日本では馴染みの薄い存在であるが、簡単に一言で説明すると、クラブの中でトップチームのサテライトとユースチームの中間に当たる存在である。ドイツ・ブンデスリーガの3部リーグに当たるレギオナルリーガのアマチュアチーム、リーガ・エスパニョーラのセグンダ・ディビシオン以下のBチームと同じであると考えて相違ない。このうちジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズはドイツのアマチュアチームを参考に設立されている。こうしたアマチュアチームは日本で、愛媛FCの下部組織である愛媛FCしまなみファジアーノ岡山の下部組織であるファジアーノ岡山ネクストFC岐阜の下部組織であるFC岐阜SECONDが存在している。

似たような性格のチームとしてアルビレックス新潟JAPANサッカーカレッジ(JSC)がある。ただし、アルビレックス新潟とJSCの関係はシステムとしてはほぼ同一であるが、JSCが学校法人となっている点で少し特異である。

また、同じく「アマチュア」を名乗っているものの、浦和レッドダイヤモンズ浦和レッドダイヤモンズ・アマチュアはトップチームの下部組織として機能していない点で大きく性格が異なる。

ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズが一般のアマチュアクラブとして異なった点として、

  1. 選手はプロサッカークラブであるジェフと契約している事。
  2. トップチームの練習試合やJサテライトリーグの試合に出場出来る事。
  3. ジェフの下部組織として運営されるようになってから、Jリーグに所属するトップチームの選手との入れ替えに、一般的な「移籍」という手続きを必要としなくなった事。

などが挙げられる。実際、アマチュアの選手がサテライトリーグに出場することはジェフでは珍しくなく、中にはトップチームに登録された選手もいた(その逆に、トップチームの選手がアマチュアに落ちる場合もあった)。

ジェフのようなシステムの採用は、将来のJリーガーを目指そうとする若手選手、また、大器晩成型の選手の才能発掘に大きな期待が持てるとして注目を集めていた。

「移籍」の実態としては、現在、トップチームとアマチュアチーム間の移動は、手続き上「移籍」という建前を用いている。ただし、チーム間に移籍金は発生しない等、一般的に用いられる「移籍」という概念からは大きく逸脱している。「移籍」という言葉よりも、「移動」「出向」というイメージで考えた方が分かり易い。ただし2010年より移籍ルールが変更となり、「移籍」は春と夏の2回のみとなり2009年以前のように頻繁に行っていたトップとリザーブ間の移動はできなくなった[1]。これを契機に2010年よりジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズは純粋なアマチュアチームとなった。

2011年、チームの経営難によって2011年シーズン限りで活動を終了した。クラブによると、新たなスポンサーによるチームの存続を検討していたが、実現できなかったとしている。また、トップチームとの移籍に制約が多いことも理由に挙げている[2]

歴史

1995年にアマチュアクラブ市原スポーツクラブがジェフのお膝元である市原市の市民が地域のスポーツ・サッカー文化の活性化を狙って設立された。これがジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズの前身に当る。この当時からジェフからコーチングや運営面での派遣・支援を取り付けて活動していた。

2000年にジェフの育成普及部のカテゴリに加えられ、Jリーグクラブの下部組織としては初めての第1種(社会人・大学生)登録チームのアマチュアチームとなった。

2003年からは正式に「ジェフユナイテッド市原・アマチュアチーム」となった。2005年からチーム名が変更されるのに伴い「ジェフユナイテッド市原・千葉 アマチュアチーム」と変更した。

2004年天皇杯全日本サッカー選手権大会の千葉県代表として初出場、また全国社会人サッカー選手権大会にも出場するなど、社会人サッカーの新興勢力として着実に力を付けていった。

2005年関東サッカーリーグ2位で、全国地域リーグ決勝大会に進出。同大会決勝ラウンドで2勝1敗の2位となり、翌年からJリーグクラブのアマチュアチームとしては初めてとなるJFL入りを果たした。

2006年、チーム正式名を「ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ」、略称を「ジェフ・クラブ」と変更。翌年にはそれぞれ「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」、「ジェフリザーブズ」と改め、今に至る。

2010年は、移籍制度の変更によりトップチームからの選手補強がなく、当初から選手層が薄かったこともあり成績が低迷し、16位に終わり、本来であれば地域リーグ決勝3位との入れ替え戦を行わなければならなかったが、ガイナーレ鳥取が優勝しJリーグへ昇格したため、入れ替え戦は免れた。

2011年をもって活動を停止した。ホーム最終戦となった12月4日Honda FC戦には市原臨海競技場に728人のサポーターが駆けつけ、6年間キャプテンとしてリザーブズを支えた安川洋介はその試合でゴールを決めると、その後のセレモニーでは「ここでプレーした選手たちは、このジェフリザーブズというチームに誇りをもって、一年一年プレーしてきました」と涙ながらに語った[3]

戦績

年度 カテゴリ 順位 勝点 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点 得失 備考
2002 千葉県1部 優勝 24 9 8 0 1 31 8 +23 関東リーグ2部制導入に伴い自動昇格
2003 関東2部 3位 28 14 9 1 4 47 27 +20 天皇杯県予選敗退
2004 優勝 36 14 12 0 2 61 17 +44 天皇杯2回戦敗退
2005 関東1部 2位 28 14 9 1 4 41 16 +25 全国地域リーグ決勝大会2位・JFL昇格
2006 JFL 12位 35 34 11 2 21 52 68 -16 天皇杯1回戦敗退
2007 9位 52 34 14 10 10 50 45 +5 天皇杯県予選敗退
2008 15位 30 34 8 6 20 31 53 -22 天皇杯2回戦敗退
2009 12位 41 34 9 14 11 26 37 -11 天皇杯2回戦敗退
2010 16位 30 34 7 9 18 31 55 -24 天皇杯県予選敗退
2011 17位 19 33 4 5 22 27 63 -36 天皇杯県予選敗退

ユニフォーム

テンプレート:ユニフォームの色2

サプライヤーはトップチームと同じくkappa。カラーリングも同様。

試合会場

関連項目

脚注

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外部リンク

  1. ジェフリザーブズの活動が停止した後の2013年から、原則として18-23歳の選手に限り、Jリーグの自チームの所属カテゴリーより下のクラスを対象として、この移籍解禁期間(移籍ウィンドー)以外でも期限付き移籍が可能とされる「育成型期限付き移籍」が認められている。
  2. ジェフユナイテッド市原・千葉 リザーブズチームの活動終了について(2011年9月12日ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルHPより)
  3. リザーブズ ホーム最終戦(2011年12月7日ジェフユナイテッド市原・千葉オフィシャルHPより)