ザ・ハンダース
ザ・ハンダースは、日本のお笑いグループ。
概要
TBSで放送された、『ぎんざNOW!』の素人コメディアン道場においてチャンピオンに輝いた人物によって構成されたコメディ集団である。名前の由来は、メンバーが6人(=半ダース)であることによる。
沿革
1975年結成。『笑って!笑って!60分!!』(TBS)にレギュラー出演し、コントやコミックソングなどを得意とした。
1978年7月21日発売のシングルレコード「ハンダースの想い出の渚」は30万枚[1]または40万枚[2]のセールスを記録した。1980年に解散。
後にメンバーであった桜金造とアゴ勇が「アゴ&キンゾー」を結成し、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)に出演してコント等を行っていたが1984年に解散した。以後、それぞれピン(単独)で活動するようになる。
2007年11月21日、「ハンダースの想い出の渚」の30周年記念パーティが東京都文京区の椿山荘で行われ、小林まさひろを除くメンバー5人が1日限りの再結成を果たした。また、フジテレビ系『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』の2007年12月25日放送の回にもメンバー5人が出演し、「ハンダースの想い出の渚2007」を披露した。
2010年7月、清水アキラが毎日公演する箱根のホテルでハンダース復活コンサートが行われ、中本賢を除くメンバー全員が集まり『ザ・ノンフィクション・あの頃に戻れない〜30年後のザ・ハンダース〜』(フジテレビ・2010年10月10日)で放送された。
メンバー
- 桜金造(一時期の芸名:佐藤金造)
- 広島県出身。小山ゆうえんちのCMで有名。NHKの『道中でござる』の座長として活躍、他各種バラエティで活躍。2007年、東京都知事選挙に出馬するも落選。政治色がついたためか、仕事が激減。以降は主に怪談の語り手としても活動している。
- アゴ勇(別名:アゴイサム、現:あご勇)
- 千葉県出身。名のとおり、独特のアゴの形態が特徴で人気となる。舞台やテレビに出演。バラエティでは、アゴの形を生かした芸で出演することも。アトム電器のエコ・キュートの完全歩合制訪問販売員(2010年現在)。
- アパッチけん(現:中本賢)
- 東京都出身。解散後は、俳優として活躍。現在は、本名の中本賢として活躍。『男はつらいよ』シリーズの他、『釣りバカ日誌』では、西田敏行演じるハマちゃんの良き理解者であり隣人である釣り舟屋の経営者・太田八郎役をレギュラーで演じている。2008年9月までラジオ日本『横浜ガサガサ探検隊』(ウィークデーの午前中)のメインMCとしてDJも。環境問題に取り組み川崎市教育委員を務める。
- 鈴木末吉(現:鈴木寿永吉)
- 小林まさひろ(ありがとうの小林君)
- 神奈川県出身。リーダー格の人物であったが、デビュー時のプロモーション(営団地下鉄銀座線全区間のルートに相当する道路を休まず歩き抜く)を桜がサボり参加しなかった"事件"の引責という形でハンダースを脱退(事務所を解雇)。
- 脱退後も芸能活動を継続、映画『の・ようなもの』で落語家役、映画『(金)(ビ)の金魂巻』で主役の医師、フジテレビドラマ『ただいま放課後』でたのきんトリオと主役の高校生4人組を演じ、日本テレビ『ルックルックこんにちは』などに出演していたが、自身の結婚とふぐ調理師の免許取得を機に芸能界完全引退。
- 1985年(昭和60年)より、東京・赤坂でふぐ料理専門店 参虎を開店、2011年3月閉店。
- 2011年4月出身地の横浜鶴見に店を移転、居酒屋鶴見参虎で再出発、各種テレビ・イベント芸能の仕事も復活している。
ハンダースの想い出の渚
ハンダースの想い出の渚(ハンダースのおもいでのなぎさ)はザ・ハンダースの持ちネタのひとつで、ザ・ワイルドワンズの「想い出の渚」を著名人の物真似によるメドレー形式で歌うもの。
シングルレコード「ハンダースの思い出の渚」で物真似されている著名人は以下のとおりである。
- 1番
- 間奏
- 2番
なお、テレビなどでザ・ハンダースが「想い出の渚」を披露する場合は、上記以外の人物を物真似することもある。最後にキャンディーズの衣装に早替りをする。
ディスコグラフィ
- ハンダースの想い出の渚(1978年)
- あなたは見たか!なんちゃっておじさん(1978年発売予定だったが発売中止。その後オムニバスCDに収録され発売される)
- ハンダースの怨念の館(1979年)
- ハンダースの友情
出典・脚注
テンプレート:Reflist- ↑ 「思い出の渚」から30年…ザ・ハンダース再結集、ZAKZAK、2007年10月22日。
- ↑ 【あの人は今こうしている】元ハンダースの鈴木末吉改めSUEKICHIさん【芸能】、日刊ゲンダイ、2012年7月4日掲載。
- ↑ 3.0 3.1 「明星」1979年2月号付録「YOUNG SONG 1979年2月号」