グリュックスブルク家
グリュックスブルク家(デンマーク語:Huset Glücksburg, ドイツ語:Haus Glücksburg)は、現在のデンマークとノルウェーの王家である。一族からはギリシャ王国の国王も出ている。デンマーク王クリスチャン9世は短期間ながらシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公国も継承した。
目次
概史
グリュックスブルク家はデンマークのオルデンブルク家の流れを汲む。デンマーク王フレゼリク2世の弟ゾンダーブルク(セナーボー)公ハンスに始まるゾンダーブルク家(セナーボー家)の支流の一つに当たる。ハンスの孫の一人ベック公アウグスト・フィリップテンプレート:Enlinkが直接の祖であるが[1]、 グリュックスブルクを家名に加えたのはグリュックスブルク公位を得たフリードリヒ・ヴィルヘルムの代からである。フリードリヒ・ヴィルヘルムは、デンマーク王フレゼリク5世の外孫でフレゼリク6世の王妃マリーの妹であるルイーセ・カロリーネと結婚した。クリスチャン9世はその四男であるが、クリスチャン8世の外孫ルイーセと結婚していたことから、フレゼリク7世の死によって1863年にオルデンブルク家が断絶するとデンマーク王位を継承した。なお、グリュックスブルク公位はクリスチャン9世の兄たちによって継承され、のちに儀礼称号としてシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公の称号も得た。両公国おける称号は、1864年のデンマーク戦争によってプロイセン王国に併合されたため、プロイセン貴族としての称号である。この家系も現在まで続いている。
ギリシャの初代の国王はバイエルン王家出身のオソン1世であったが、クーデターによって廃位され、代わって1863年にクリスチャン9世の次男であるゲオルギオス1世が国王に迎えられ、父の即位に先立ってギリシャ王位に就いた。
ノルウェーが1905年にスウェーデンとの同君連合を解消して独立した際には、スウェーデンのベルナドッテ家がノルウェーの王位継承権を放棄したため、当時クリスチャン9世の王太子であったフレゼリク8世の次男カールが国王に迎えられ、ホーコン7世として即位した。この家系も現在までノルウェー王家として続いている。
家名について
グリュックスブルク(Glücksburg)は、元来は現在のドイツ連邦共和国シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にある地名であり、デンマーク語ではリュクスボー(Lyksborg)となる。正式な家名はシュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg)である(ドイツ語の場合)。
ギリシャのグリュックスブルク家はコンスタンティノス2世の廃位後、「ギリシャの」を意味するティス・エラザス(της Ελλάδας)を姓に用いている。コンスタンティノス2世の甥に当たるスペイン国王フェリペ6世も正式な姓はデ・ボルボン・イ・グルックスブルゴ(グルックスブルゴはスペイン語式の発音)ではなくデ・ボルボン・イ・グレシアである(グレシア(Grecia)はスペイン語でギリシャのこと)。また同じギリシャ・グリュックスブルク家の出身であるイギリスのエディンバラ公フィリップは、正式な家名がドイツ的でかつ長すぎるため、イギリスへの帰化に際して母方の姓マウントバッテンを名乗った。
デンマーク国王
- クリスチャン9世(在位:1863年 - 1906年)
- フレゼリク8世(在位:1906年 - 1912年)
- クリスチャン10世(在位:1912年 - 1947年)
- フレゼリク9世(在位:1947年 - 1972年)
- マルグレーテ2世(現女王、在位:1972年 - ) 1953年の王位継承法改定により、女性にも王位継承権が認められた。
ノルウェー国王
- ホーコン7世(在位:1905年 - 1957年) デンマーク王フレゼリク8世の次男
- オーラヴ5世(在位:1957年 - 1991年)
- ハーラル5世(現国王、在位:1991年 - )
- ホーコン・マグヌス(現王太子)
ギリシャ国王
- ゲオルギオス1世(在位:1863年 - 1913年) デンマーク王クリスチャン9世の次男
- コンスタンティノス1世(在位:1913年 - 1917年、1920年 - 1922年)
- アレクサンドロス1世(在位:1917年 - 1920年)
- ゲオルギオス2世(在位:1922年 - 1923年、1935年 - 1947年)
- パウロス1世(在位:1947年 - 1964年)
- コンスタンティノス2世(在位:1964年 - 1973年)
グリュックスブルク公
- フリードリヒ・ヴィルヘルム(1816年 - 1831年) クリスチャン9世の父
- カール(1831年 - 1878年) クリスチャン9世の長兄
- フリードリヒ(1878年 - 1885年) クリスチャン9世の次兄
- フリードリヒ・フェルディナント(1885年 - 1934年) フリードリヒの子、1931年からシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公
- ヴィルヘルム・フリードリヒ(1934年 - 1965年) フリードリヒ・フェルディナントの子、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公
- ペーター(1965年 - 1980年) ヴィルヘルム・フリードリヒの子、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公
- クリストフ(1980年 - ) ペーターの子
系図
クリスチャン3世からクリスチャン9世まで
グリュックスブルク公の家系およびアウグステンブルク家についても併せて示す。 テンプレート:Familytree/start テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree/end
デンマーク、ノルウェー、ギリシャ王家
括弧内の数字は即位順。 テンプレート:Familytree/start テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree テンプレート:Familytree/end
注
- ↑ ベック公アウグスト・フィリップの兄アウグステンブルク公エルンスト・ギュンターテンプレート:Enlinkはオルデンブルク家のもう一つの有力な分家アウグステンブルク家の祖となった。