ひがしのひとし
ひがしのひとし(本名 東野人志、別名 東野ひとし、1948年もしくは1949年 - 2014年5月14日)は、1960年代から活動しているフォークシンガー。京都で古川豪、高田渡、中川五郎らと親交を深める。鍼灸師という肩書きもある[1]。
略歴
1970年8月8日〜9日の第2回中津川フォークジャンボリーに参加して「鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察」を歌う。この模様は、『中津川フォークジャンボリー1971』(ベルウッド)に両者とも収録されている。
URCレコードから、大量のアーティストが移籍した後も、同社のディレクターとして、古川豪とともに残留して、宮里ひろし、中島光一、よしだたかしらを発掘しデビューにつなげている。
1975年URCレコードから『マクシム~無頼のシャンソニエ』でアルバムデビュー。収録曲“シャンソンを歌おう”では古川豪がバンジョーで参加。その他に、豊田勇造、江間あんぬらがバッキングして、シャンソンをテーマにしつつも、ジャジーでシニカルな、フォークソングを展開している。いる。ジョルジュ・ブラサンスや西岡恭蔵の作品も取り上げられている。また、オムニバスアルバム、『関西フォークの歴史2』『続関西フォークの歴史』(ともにURCレコード)には、ハナゲの歌(スタジオバージョン)、こがねの雨(新録)、このハイウェイを下って、を収録。
1977年には、セカンドアルバム『初めてのシャンソン』(URCレコード)をリリース。屁負比丘尼(へおいびくに)など、インパクトの強いナンバーを収録。また、毎日放送(MBS)で、ラジオ番組のパーソナリティ、レポーターを務めた。80年代は京都で居酒屋を経営。ライター兼編集者としても活躍した。 2000年代初頭、26年振りのサードアルバム『水の記憶』(2003年 オフノート)を発表した。
古川豪・宮里ひろし・渡辺勝・オクノ修・中川五郎・藤村直樹などとオムニバスアルバムのフォークパルチザン『瓶の中の球体』(オフノート)をリリース。小川のほとり、学校で何を習ったの(高石ともやの作品のカバー曲。)などを収録。
古川豪、中山ラビ、豊田勇造、三浦久らと、『七夕コンサート』を毎年ひらいている。
2014年5月14日、肺炎のため大阪市内の病院で死去[2]。享年65歳。
ハナゲの唄
作詞・作曲した「鼻毛の伸長度に関する社会科学的考察」は、「ハナゲの唄」として、山本厚太郎のグループ「ソルティー・シュガー」がカヴァーして(アルバム『茶歌集』(ソウルフィット)に収録)、小ヒットしていた曲。
関連人物・項目
注
テンプレート:Reflist- ↑ 「古川豪に見たフォークの健在」 - 本間健彦(『街から』96号・2008年10月、街から舎)
- ↑ 東野人志氏死去 シンガー、「ハナゲの…」 京都新聞 2014年5月30日