色丹郡
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以下の1村を含む。
- 色丹村(しこたんむら)
当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土問題の項目を参照のこと。
概要
テンプレート:Main 色丹島とそれに近接する小島で構成され、中心集落は北端の斜古丹(しゃこたん)地区[1]で、村役場をはじめ郵便局、派出所などが置かれ、捕鯨基地としても重要だった。このほか、穴澗(あなま)、能登呂(のとろ)、切通(きりとうし)、相見崎(ヨコネモシリ)、チボイ地区の人口が多く、分教場も置かれた。
歴史
郡発足までの沿革
郡発足以降の沿革
- 明治19年(1886年)
- 明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、根室支庁の管轄となる。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、斜古丹村(二級村、単独村制)が発足。
- 昭和8年(1933年)10月1日 - 斜古丹村が改称して色丹村(二級村)となる。
- 昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
- 昭和20年(1945年)9月2日 - 日本政府が降伏文書に調印、同時に一般命令第1号により、ソ連占領下となる。
- 昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
- 昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道根室支庁の管轄となる。
- 平成22年(2010年)4月1日 - 根室支庁が廃止され、根室振興局の管轄となる。[3]
人口
国勢調査の結果のうち、大正14年 - 昭和10年のデータは、昭和10年の国勢調査報告[4]による。世帯数のデータは南千島色丹島誌からの孫引き[5]。
- 大正9年 - 国勢調査 542人(男315人、女227人)、世帯数117[6](斜古丹村)
- 大正14年 - 国勢調査 857人、世帯数148
- 昭和5年 - 国勢調査 911人、世帯数169
- 昭和10年 - 国勢調査 1,177人(男694人、女483人)、定住人口1,002人(色丹村)、世帯数189
- 昭和15年 - 国勢調査 1,499人(男971人、女528人)、世帯数217[7]
- 昭和20年 - 1,038人、世帯数206[8]
参考資料
テンプレート:北方領土における日本側の行政区分- ↑ マタコタン・カゲノマ・斜古丹(しゃこたん) 北方四島居住地図 千島歯舞諸島居住者連盟
- ↑ 明治19年太政官布告第1号法令全書 第21冊(明治18年) 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館
- ↑ 北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例 支庁制度改革の取組(地域主権局)北海道
- ↑ 市町村別人口 01北海道昭和10年国勢調査 政府統計の総合窓口
- ↑ 色丹島との草の根交流記25未来航路
- ↑ 世帯数及人員-市町村 01北海道 大正9年国勢調査 政府統計の総合窓口
- ↑ 世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村 昭和15年国勢調査 政府統計の総合窓口
- ↑ 北方領土の人口 独立行政法人北方領土問題対策協会