ディオゲネス (犬儒学派)
ディオゲネス(テンプレート:Lang-en-short、紀元前412年? - 紀元前323年)は古代ギリシアの哲学者。アンティステネスの弟子で、ソクラテスの孫弟子に当たる。シノペ生れ。シノペのディオゲネスとも。
犬儒派(キュニコス派)の思想を体現して犬のような生活を送り、「犬のディオゲネス」と言われた。また、大樽を住処にしていたので「樽のディオゲネス」とも言われた。
生涯
ディオゲネスは、両替商ヒケシアスの子としてシノペに生まれた。彼の父もしくは彼自身が、通貨改鋳の罪を犯したため、国外(ポリス外)に追放された。
アテナイにやってくると、ソクラテスの弟子であったアンティステネスに弟子入りを願った。アンティステネスは弟子を取らないことにしていたので断ったが、ディオゲネスはしつこく頼み込んだ。怒って杖で頭を殴ろうとすると、ディオゲネスはこう言った。
- 「どうぞ殴ってください。木は私を追い出すほど堅くありません」
ディオゲネスはアンティステネスの弟子になった。師の「徳」に対する思想を受け継ぎ、物質的快楽をまったく求めず、粗末な上着のみを着て、頭陀袋ひとつを持って乞食のような生活をした。
航海中に海賊に捕らえられ、奴隷として売られたことがある。売られるときに「何ができるか」と聞かれると「人を支配することだ」と答えた。コリントス人のクセニアデスに買われ、その息子たちを教育した。
紀元前336年、アレクサンドロス大王がコリントスに将軍として訪れたとき、ディオゲネスが挨拶に来なかったので、大王の方から会いに行った。ディオゲネスは体育場の隅にいて日向ぼっこをしていた。大勢の供を連れたアレクサンドロス大王が挨拶をして、何か希望はないかと聞くと、「あなたがそこに立たれると日陰になるからどいてください」とだけ言った。帰途、大王は「私がもしアレクサンドロスでなかったらディオゲネスになりたい」と言った。
死が迫ってきたとき、「私が死んだら、その辺に投げ捨てておくれ」と言った。一説には「河に投げ込んでおくれ」と言った。
ディオゲネスはアレクサンドロス大王と同じ頃死んだ。死因はタコを食べて当たったためとも、犬に足を噛みつかれたためとも、自分で息を止める修行をしたためとも言われている。
思想
ディオゲネスは「徳」が人生の目的であり、欲望から解放されて自足すること、動じない心を持つことが重要だと考えた。そのため肉体的・精神的な鍛錬を重んじた。
知識や教養を無用のものとし、音楽・天文学・論理学をさげすんだ。プラトンのイデア論に反対し、「僕には『机そのもの』というのは見えないね」と言った。プラトンは「それは君に見る目がないからだ」と言い返した。プラトンは、ディオゲネスはどういう人かと聞かれて「狂ったソクラテスだ」と評した。運動の不可能(おそらくゼノンのパラドックス)を論じている哲学者の前で、歩き回ってその論のおかしいことを示した。また「人間とは二本足で身体に毛の無い動物である」と定義したプラトンに、ディオゲネスが羽根をむしった雄鶏をつきつけて「これがプラトンの言う人間だ」といった「プラトンの雄鶏」の故事でも知られる。
唯一の正しい政府は世界政府であるといい、「自分はコスモポリタンだ」と言い、史上初めてコスモポリタニズムという語を作った。また女性や子供の共有を主張した。
彼には二十ほどの著作があったという説があるが、一方でまったく本は書かなかったとの説もある。モニモス、クラテスなどの多数の弟子を育てた。
逸話
ディオゲネスは現在、その思想よりも逸話によって知られる。
- 外見にまったく無頓着だった。住むところも気にせず、神殿や倉庫で寝て「アテナイ人は自分のために住処を作ってくれる」と言った。あるときは酒樽(大甕)に住んだ。
- 広場で物を食べているところを人が見て「まるで犬だ」と罵られたので、「人が物を食っているときに集まってくるお前たちこそ犬じゃないか」と言い返した。食べるのがおかしなことでなければ、どこで食べてもおかしなことではないと主張した。
- 同様に、道ばたで公然と自慰をした。「擦るだけで満足できて、しかも金もかからない。こんなに良いことは他にない」 「食欲もこんなふうに簡単に満たされたらよいのに」と言った。
- オリンピアで優勝した闘技士が美しい女を振り返り見る様を「偉大な闘技士が小娘に首をねじ上げられているよ」とからかった。
- ある人がディオゲネスに物を贈った。人々がその行為を褒めるとディオゲネスは「もらう価値のある俺も褒めてくれ」と言った。
- ある人がサモトラケ島の神殿に感謝の奉納が多いと感心していると「救われなかった人が奉納していたらもっと多かっただろうね」と言った。
- 日中にランプをともして「何をしているのだ」と聞かれたとき「人間を探しているのだ」と答えた。
他にも数え切れないほどの逸話があり、シニカルの語源となった思想信条にふさわしい人を食ったものが多い。これらの多くはおそらく、日本の一休噺のように、ディオゲネスに仮託して作られた小話であろう。
ギリシアの人たちは、ディオゲネスを笑う一方で彼を愛した。ある男によって彼が住居にしている甕が割られたとき、別の甕が与えられたという。
英国の作家アーサー・コナン・ドイルの作品「ギリシャ語通訳」の中では、シャーロック・ホームズの兄マイクロフト・ホームズは、他人との交流を嫌う人たちのためのロンドンで最も風変わりなクラブ、「ディオゲネス・クラブ」の創立者の一員でその会員という設定になっている。ただし作品が書かれた英語では、ダイオジェネス・クラブと表記したほうが原音により近い。
参考文献
- ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝(中)』岩波文庫(岩波書店) ISBN 4003366328
- 山川偉也『哲学者ディオゲネス 世界市民の原像』講談社〈講談社学術文庫1855〉、2008年1月、ISBN 978-4-06-159855-3
外部リンク