喜望峰
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喜望峰(きぼうほう、テンプレート:Lang-af、テンプレート:Lang-en、テンプレート:Lang-pt、テンプレート:Lang-nl)は、南アフリカ共和国西ケープ州ケープタウンにある岬。
名称
英語名は「Cape of Good Hope」で直訳すると「希望岬」となり、中国語では「好望角」と表記する。諸説あるが、「喜望峰」が一般呼称として定着したのは誤植によるものと考えられている。
位置
喜望峰はケープタウンから50km南へ延びたケープ半島の突端にある。ケープタウンの南のテーブルマウンテンと同じ珪質砂岩でできている。半島の東はフォールス湾である。喜望峰がアフリカ大陸の最南端といわれることがあるが、実際には東南東へ約150km離れているアガラス岬が最南端である。
歴史
- 紀元前600年頃 - ヘロドトスが『歴史』の中で伝える処に依ると、エジプト第26王朝のファラオ・ネコ2世の命でフェニキア人がアフリカ周航[1]を行なった。フェニキア人らは3年がかりでこれを成し遂げ、南アフリカで天頂の北側に真昼の太陽を見たと報告している。ヘロドトスの時代の(北半球の)世界観では、太陽がこのように運行することは考えられず、この話は信じられないと記している。しかし、現在ではこの話が逆に海洋航路の探検に信憑性を持たせている。
- 1488年 - ポルトガル人バルトロメウ・ディアスが到達したものの、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo Tormentoso(「嵐の岬」)と命名[2]。しかし、この航路の発見は香辛料貿易のルート短縮につながったため、後にポルトガル王ジョアン2世が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperança)と改めさせている[2]。
- 1652年 - オランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックが植民、後のケープタウンとなる。当時、周辺に居住していた先住民族は「ホッテントット」[3]とオランダ人から呼ばれたが、現在はコイコイ人と呼ぶ。
- 1806年 - ナポレオン戦争中にイギリスが接収し、1814年の英蘭協定でイギリス領となる。
脚注
関連項目
- ケープオブグッドホープ - 英国、香港で活躍した競走馬