アンジェイ・ズラウスキー

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テンプレート:ActorActress アンジェイ・ズラウスキー(ジュワフスキ、Andrzej Żuławski, 1940年11月22日 - )は、ポーランド出身の映画監督

来歴・人物

1940年、当時ポーランド支配下にあったルヴフ(現在のウクライナリヴィウ)に、作家テンプレート:仮リンクの息子として生まれる。大叔父(父方の祖父の兄弟)には作家イェジイ・ジュワフスキがいる。

1957年から1959年までフランスに留学、パリの高等映画学院で学び、1960年から1966年までアンジェイ・ワイダの助監督を務める。その間、ワルシャワ大学哲学科とパリ政治学院で学ぶ。また、この時期から映画批評や詩作を発表。

1967年に短編テレビ映画Pavoncello』で演出家デビュー。1971年に父ミロスワフとの共同脚本で長編映画処女作となる『夜の第三部分』を監督し、ポーランド映画祭新人作品賞、アンジェイ・ムンク賞、コシャーリン映画祭グランプリを受賞する。しかし翌1972年に監督した第2作『悪魔』がポーランド国内で上映禁止処分を受け、次作『L'important c'est d'aimer』(1975年)をフランスで製作する。本作は主演したロミー・シュナイダーセザール賞主演女優賞をもたらす。

その後、1981年の『ポゼッション』が第34回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、主演のイザベル・アジャーニ女優賞を受賞したことで世界的に注目されるようになる。アジャーニは本作でセザール賞主演女優賞も受賞している。

1985年の『狂気の愛』からは、本作をきっかけにその後、長年に渡るパートナー関係となる女優ソフィー・マルソーを主演に迎えた作品を多く製作するようになる。1987年には大叔父イェジーの代表作「月三部作」の第1部『銀球で』を原作にしたSF映画『シルバー・グローブ/銀の惑星』を発表。翌1988年第41回カンヌ国際映画祭ある視点部門で上映される。本作は1977年に長編4作目として製作を開始していたものの、後にポーランド政府から製作中止命令を受けており、実に10年越しでの完成となった。

2000年に監督した『女写真家ソフィー(原題:フィデリテ)』を最後に作品の発表がなかったが、2014年、14年ぶりの監督作『Matière Noire (英題:Dark Matter)』を製作することが明らかとなった[1]

私生活

女優テンプレート:仮リンクと結婚、1971年に息子テンプレート:仮リンクが生まれるが、後に離婚。クサヴェリは後にテレビドラマの演出家となる。

26歳年下の女優ソフィー・マルソーと長く事実婚の関係にあり、1995年に息子ヴァンサンが生まれる[2]が、後に関係を解消している。

フィルモグラフィー

受賞

参考文献

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外部リンク

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