浅井昭衛
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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:政治家 浅井 昭衛(あさい しょうえい1931年11月30日 - )は、日本の宗教法人顕正会(公称は冨士大石寺顕正会)の会長。宗教家。
経歴
敗戦後の1947年、16歳の時に日蓮の『立正安国論』を読んで本格的に日蓮正宗の信仰に目覚めたという。その後、当時の彼の指導教師であった中島日彰・妙光寺住職(能化、元・管長代行。円妙院日彰)から、総本山大石寺第26世日寛の遺文について個人講義を受ける機会があった。
早稲田大学第二政治経済学部を中退後、法道院法華講の青年部長、妙信講青年部長、同本部長を歴任した。全国法華講連合会の統制に抵抗し、日蓮の遺言(日蓮正宗では御遺命と呼称)について、総本山大石寺との全面的に対立するに至った。
後に創価学会の池田大作と対立し、富士大石寺を総本山として、顕正会を創設した。
親族
次男の浅井城衛は顕正会理事長兼男子部長をしているものの、長男の浅井克衛元男子部長は2005年以降公に姿を現しておらず、顕正会内部の話にも出てこなくなった為、2014年7月現在、その所在は不明である。テンプレート:Main