澎湖諸島

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澎湖諸島(ほうこしょとう、ポンフーしょとう)は、台湾島の西方約50kmに位置する台湾海峡上の島嶼群澎湖列島澎湖群島とも呼ばれる。島々の海岸線は複雑で、その総延長は約300kmを誇っている。大小併せて90の島々から成るが、人が住んでいる島はそのうちの19島である。また、かつて「澎湖」の名を冠した日本海軍の艦艇があった。

地理

1916年日本による測量の際、澎湖諸島は64の島嶼から構成され、総面積は126.864km²であるという結果が発表された。そのため、永らくこの数値が公式資料として用いられていたが、2005年国立高雄応用科技大学が再調査した結果、90の島嶼から構成され、総面積は141.052km²であることが判明した。

澎湖諸島は全島が澎湖県に属しており、澎湖島(ほうことう)にある県都の馬公市は行政・経済の中心都市である。 澎湖島は澎湖諸島最大の島であり、四方を海で囲まれているために風が強く、「風島」と別称されている。住民のほとんどは澎湖島と白沙島(はくさとう)、漁翁島(ぎょおうとう)に暮らしているが、主要産業は観光業漁業のみであるため、多くの若年労働者は職を求めて諸島を離れていく。

北回帰線付近に位置するため、一年を通じて温暖な気候であり、年間の平均気温は23となっている。しかし島内に山地が形成されていないことから降水量は少なく、年間降水量は1,000mm程度となっている。諸島はサンゴから成り、また周囲をサンゴ礁に取り囲まれているので、土壌は痩せている。その為、植物が育ち難く、植生が豊かな台湾島とは景観が異なる。住民は、豊富に存在するサンゴを古くから活用し、強風から作物や家屋を保護するサンゴの塀や、サンゴのブロックを使った屋根の低い家を造って来た。これらは現在においても、島独特の雰囲気を醸し出しており、近年では歴史的景観の復元が進められている。

歴史

歴史の詳細は、澎湖県を参照のこと。

  • 1895年、日本が領有。
  • 1900年4月、澎湖島要塞の建設開始(大山堡塁の着工)。
  • 1909年3月、第一期の要塞工事が終了した。1902年5月、澎湖島要塞司令部が設置された。

経済産業面では1913年には電気会社が設立され電力供給開始、1920年にかけて郵便制度が整備され、日本企業による投資促進政策が取られた。1926年には澎湖水産会1927年に馬公バスが整備され、また政治面でも地方自治を組織するなど近代国家としての制度が整備されていった。また、文化面では1928年(昭和3年)11月8日、澎湖神社が鎮座した。

澎湖土産菓子

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