紀元前401年
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テンプレート:Yearbox 紀元前401年は、ローマ暦の年である。当時は、「ポティトゥス、コッスス、カミルス、アンブストゥス、マメルキヌス、ルルスが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元353年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前401年と表記されるのが一般的となった。
できごと
ペルシア帝国
- 小キュロスは、イオニアの諸都市をめぐるティッサペルネスとの諍いを口実に軍勢を集め、トロス山脈中のピシディアへの遠征を準備しているという偽装をした。ギリシア傭兵1万人を含む、2万人ほどの軍勢を率いて出発したキュロスは、タプサコス (Thapsacus) でユーフラテス川に達したところで、進軍の本当の目的がアルタクセルクセス2世の打倒であることを軍勢に告げた。キュロスの軍勢は、抵抗を受けずにバビロニアに侵入したが、直前にティッサペルネスから警告を受けていたアルタクセルクセス2世も、大急ぎで手勢を集めていた。両軍はバビロンの北郊におけるクナクサの戦いで会戦し、キュロスは討ち死にした。
ギリシア
- キュロスのために戦っていたギリシア傭兵たちは、キュロスの敗北の後、孤立して取り残されてしまった。ペルシア帝国のサトラップ(太守)ティッサペルネスが、スパルタのクレアルコス (Clearchus of Sparta) らギリシア傭兵の士官たちを捕らえ、アルタクセルクセス2世が処刑してしまったので、残された傭兵たちは、新たにリーダーとなったクセノポンに率いられ、敵対的なペルシア人、アルメニア人、クルド人たちの領域を通って北へ進み、黒海沿岸のトラペウス(現代のトラブゾン)へとたどり着いた。
- アゲシラオス2世が、異母兄アギス2世の死去後に、スパルタ王に即位した。