世界ボクシング基金
世界ボクシング基金(WBF / World Boxing Foundation)はプロボクシングの王座認定団体。本部はオーストラリア。
歴史・概要
テネシー州ブリストルを本部として1988年より活動してきた世界ボクシング連盟(WBF / World Boxing Federation、以下旧WBF)が訴訟問題で多額の賠償金を負ったために解散し、その後を受けた形で別団体として2004年に誕生した。旧WBFと新団体のWBF(世界ボクシング基金)はまったくの別団体ということになっているが、旧WBFの王者たちはそのまま新団体のWBFが継承した。
独自の世界ランキングを発表してはいるものの、他のメジャー団体の世界王者達や有名選手をそのランキングに並べているだけで、しかも、そのランキングとは無関係の選手同士でタイトル戦を行っている。そのため、王者認定団体としての信用はない。WBFの王者たちのほとんどは無名選手である。
元WBFスーパーフライ級王者セムサン・ダッチボーイジム43連勝(36KO)の無敗レコードのまま引退(タイ)が1994年から2002年の間に38回の連続防衛に成功したが、挑戦者の質が低く、またWBFがマイナータイトルのため、正式な世界王座防衛記録としては認められていない。
2009年からは女子王座も認定。10月9日のアン・サクラート vs. ミリアム・ラマール戦はWBF初の女子世界タイトルマッチとして実施され、勝利したラマールが最初のWBF女子王者に認定された。なお、旧WBFも女子王座を認定していた。
二つのWBF
2009年10月、世界ボクシング基金(WBF / World Boxing Foundation)の運営に不満を持ったハワード・ゴルドバーグらが団体から離脱し、南アフリカ共和国ケープタウンを本部とする世界ボクシング連盟(WBF / World Boxing Federation)という名称の新団体を設立した(旧WBFとは別団体)。一部を除き、王者達も新団体へ移行した。
そのため、現在はWBFを略称とする二つの王座認定団体が存在する事態となっている。
日本との関連
他の非公認団体と同様に年齢、故障などにより日本国内での現役続行が制限された上での王座挑戦となることが多い。
- 1997年には西島洋介がWBF世界クルーザー級王座を獲得した(即、返上)。
- 1999年に河合晴彦(当時グリーンツダジム所属)がタイでWBF世界スーパーバンタム級王者、ソムサック・シンチャチャワンに挑戦したが、3回負傷引き分け。ソムサックはWBF王座を返上後、キャリアを重ね、2006年に敵地フランスでマヤール・モンシプールを破りWBA世界スーパーバンタム級王者になった。
- K-1に出場していたマイク・ベルナルドが2000年に1勝5敗の戦績の選手との王座決定戦で空位のWBF世界ヘビー級王座を獲得した。
- 2002年8月18日、大阪で「WBFパンアジアタイトルマッチ」と銘打った興行が行われた。開催前にはデイリースポーツ(大阪本社版)の紙面に、広告も掲載された。当日はパンアジア王座決定戦2試合が行われ、日本から出場したスーパーフライ級の柳山甚介とスーパーバンタム級の大西聖一が、共にタイ人を破って各級の王座に就いた。しかし、当時JBC非公認の興行もフォローしていた『ワールド・ボクシング』誌は、巻末のコラムで「ひどい興行」と評した以外は、なぜかこの興行に関して全く触れなかった。
- 2003年8月8日、キックボクサーの柴田早千予がオーストラリアにてアンジーを1RKOで退けWBF女子フライ級王座を獲得した。
- 2006年10月12日、韓国・済州島ハラ・スポーツセンターにて「WBFチャンピオンズリーグ」という名で女子プロボクシング日中韓対抗戦を開催。日本からはツバサ(現・天空ツバサ)、ツナミ(現・天海ツナミ)、マーベラス、猪崎かずみが出場し、前2者は判定勝ち、後2者は判定負けの2勝2敗であった。
- 2007年7月6日、フランソワ・ボタが5年ぶりのボクシング復帰戦でWBF世界ヘビー級暫定王座決定戦に出場。ボブ・ミロビッチを3-0の判定で破り、WBFヘビー級暫定王座を獲得した。
- 2007年7月20日、西澤ヨシノリがオーストラリアで行われたWBFアジア太平洋ライトヘビー級王座決定戦に7RKO勝ちを収めて同王座を獲得した。西澤は同年12月7日、再びオーストラリアでソニー・アンジェロとのWBF世界ライトヘビー級王座決定戦に出場したが、負傷引き分けで王座獲得ならず。