仰げば尊し
『仰げば尊し』(あおげばとうとし/あふげばたふとし)は、1884年(明治17年)に発表された唱歌。卒業生が先生方に感謝し、学校生活を振り返る内容の歌で、特に明治から昭和にかけては学校の卒業式で広く歌われ、親しまれた。ニ長調または変ホ長調が多い。8分の6拍子で、編曲されたものが何種類か存在する。 2007年(平成19年)に日本の歌百選の1曲に選ばれた。 <score vorbis=1> \relative c { \key e \major \time 6/8 \tempo 8 = 120 \partial 8*1 gis8 | gis4 a8 b4 b8 | cis4 cis8 b4 gis8 | fis4 gis8 a4 cis8 | b4. ~ b4 gis8 | \break gis4 a8 b4 b8 | cis4 cis8 b4 gis8 | fis4 cis'8 b4 dis,8 | e4. ~ e4 e8 | \break cis'4 cis8 a4 cis8 | b4 gis8 b4 b8 | cis4 e8 dis4 cis8 | b4. ~ b4 gis8 | \break gis4 a8 b4 e8 | e4 cis8 cis4^\fermata a8 | fis4 a8 gis4 fis8 | \partial 8*5 e4. ~ e4 \bar "|." } %% 以下に歌詞を入力しておくが、2013年11月3日現在score拡張機能の歌詞引数が日本語対応していないため、コメントアウトしておく。 %% \addlyrics { %% あ お げ ば と う と し わ が し の お ん %% お し え の に わ に も は や い く と せ %% お も え ば い く と せ こ の と し つ き %% い ま こ そ わ か れ め い ざ さ ら ー ば %% } %% \addlyrics { %% た が い に む つ み し ひ ご ろ の お ん %% わ か る る の ち に も や よ わ す る な %% み を た て な を あ げ や よ は げ め よ %% い ま こ そ わ か れ め い ざ さ ら ー ば %% } %% \addlyrics { %% あ さ ゆ う な れ に し ま な び の ま ど %% ほ た る の と も し び つ む し ら ゆ き %% わ す る る ま ぞ な き ゆ く と し つ き %% い ま こ そ わ か れ め い ざ さ ら ー ば %% } </score> [1]
歴史
研究者の間では長年、作者不詳の謎の曲とされていた。これまで作曲者については、作者不詳のスコットランド民謡説、伊沢修二説などがあった。しかし、「Song for the Close of School」[2]という楽曲が、1871年に米国で出版された楽譜『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』[3][4]に収録されていることを、一橋大学名誉教授の桜井雅人が2011年1月に突き止めた。同書は基本的に初出の歌曲を載せているし、旋律もフェルマータの位置も同曲と同一であるので、これが原曲と思われる。同書は作曲者をH. N. D.、作詞者をT. H. ブロスナンと記載している。ブロスナンはその後保険業界で活躍した人である。また、H.N.D.はどのような人物であったかは明らかではないが、桜井によると、当時の習慣として未婚女性などはイニシャルのみを表記することが多かったので、女性ではなかったかとの説が生まれている。[5][6][7][8]またどのような経緯で日本に入って来たのかもわかっていない。
日本には、文部省音楽取調掛の伊沢修二らが移植した。日本語の歌詞は、大槻文彦・里見義・加部厳夫の合議によって作られたと言われている。1884年(明治17年)発行の『小学唱歌集』第3編より収録されたのが、唱歌としての始まりである。
明治から大正、昭和にかけて、学校の卒業式でしばしば歌われる定番の曲となり、現在でも中年以上の世代を中心に、日本の多くの人の記憶に残る歌である。しかし、歌詞が文語であるため、児童・生徒には分かりにくいという理由から、卒業式で歌われることは減った。大都市の公立学校(特に小学校)では、卒業式合唱曲を『旅立ちの日に』、『贈る言葉』、『さくら (森山直太朗の曲)』等、よりその時代のヒット曲を中心にする学校が多い。さらに、『仰げば尊し』を歌っている学校においても、2番の歌詞では「身を立て名をあげ」と立身出世を呼びかけていることが「民主主義」的でなく[9]、また「いと」「やよ」のような文語が「難解である」という理由で敬遠され、本来の2番を省略し3番を2番として歌うこともある。戦後、児童文学者の藤田圭雄は、この歌詞を現代風にアレンジしたが普及しなかった。
本曲は台湾では現在も卒業式での「定番」として広く使用されており、映画『冬冬の夏休み』では、冒頭からこの曲が流れ、その社会での定着度を示している。台湾へは日本による統治時代に使用されていたものが、1945年以降も引き続き中国語の歌詞によって使用されているものだが、歌詞は「中華文化高揚」というような民族的、政治的な色彩を加えているものの、日本語の歌詞の影響下で作られたものであり、歌詞においても関連性が認められる。
桜井雅人の原曲発見は、一部の音楽史家などによって「世紀の大発見」とみなされており、「非民主的」とされていた歌詞も、原曲にはそのような内容がないことが明きらかになったことや、この歌詞は現代的な意味での立身出世をうたったものではないなどとの批判があり、再評価の声も強くなっている。原曲の3番の歌詞の最後は「When school mates say Good-bye」だが、日本語のその部分の歌詞は「いざ、さらば」であり、原曲の歌詞を十分生かそうとした明治の訳詩者の意思を感じることができる。
本曲はこれまで邦画などでも広く使用されており、反戦映画であるはずの、高峰秀子が主演した「二十四の瞳」でも重要な役割を演じている。中国人歌手のJade Yinによる日本語の曲が評判になっており、現在では名曲として、本曲への新たな関心と評価が生まれてきている。
原曲を載せた歌集は日本の図書館等では見つかっていないが、アメリカ、イギリスの図書館で少数ながら所在が突き止められている。桜井雅人は版元の違うものを含めて数冊収集しており、研究が進んでいる。
2014年2月に、キング・レコードから『仰げば尊しのすべて』と題する、新旧21のこの曲を収録したCDが発売されたが、その中に桜井雅人を含む研究者による、56ページに及ぶ解説が添付されており、この曲の過去、現在の状況がよく理解できる。
歌詞
原詞 | 直訳 | |
---|---|---|
1 | We part today to meet, perchance, Till God shall call us home; And from this room we wander forth, Alone, alone to roam. And friends we've known in childhood's days May live but in the past, But in the realms of light and love May we all meet at last. |
私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。 そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。 幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。 しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。 |
2 | Farewell old room, within thy walls No more with joy we'll meet; Nor voices join in morning song, Nor ev'ning hymn repeat. But when in future years we dream Of scenes of love and truth, Our fondest tho'ts will be of thee, The school-room of our youth. |
さよなら古き部屋よ、汝の壁の内で、楽しく集うことはもう無い。 朝に声を揃えて歌うことも、午後の賛美歌も、もう繰り返すことはない。 だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。 私たちの最も大切な思い出は、汝、幼き日々の教室となるのだろう。 |
3 | Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear; The tie is rent that linked our souls In happy union here. Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye; Ah, 'tis a time for fond regrets, When school-mates say "Good Bye." |
さよなら私たちがかく愛した汝よ、さよなら親愛なる級友たちよ。 私たちの魂を、幸せなひとつの繋がりとしてきた絆は解かれた。 私たちの手は固く握られ、心は満ち、そして目には涙をたたえ。 ああ、これぞ惜別の時、級友たちの言葉は「さよなら」。 |
「別れめ」の「め」の部分でフェルマータ(適当に音を延ばす)がかかる。
なお、題および歌詞は、歴史的仮名遣いでは「あふげばたふとし」である扇(あふぎ)をおおぎと発音する例に見るように、おおげばとおとしと発音するのが正しい [10] [11] という議論があるが、倒る(たふる)を「たおる」と読み下すのと同様に、仰ぐ(あふぐ)は「あおぐ」と読み下すのが正しい [12]。
なお、「今こそ別れめ」は係り結びであり、実際は「今まさに別れよう」というような意味になる。「別れ目」と誤解される場合がある[10]。
非民主的と問題視される二番の歌詞、「身を立て 名を上げ やよ励めよ」にあたる原詞は「But when in future years we dream Of scenes of love and truth,(だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。)」である。代替として、藤田圭雄による歌詞も存在する。
カバー
- 1984年(昭和59年)に、パンク・ロックバンド「ザ・スターリン」のボーカルであった遠藤ミチロウがこの楽曲をパンク・ロック調でカバーした。
- 1995年(平成7年)にSMAPがシングル『KANSHAして』のカップリング曲としてカバー。途中でメンバーによるラップも入るなど軽快な曲としてアレンジされている。
- 2008年(平成20年)2月に日本デビューした中国人女性歌手ジェイド・インが公式サイトでこの曲のカバーを配信している。
- 同年に、たかはし智秋・今井麻美がラジオ大阪『THE IDOLM@STER RADIO』の1コーナー「歌姫楽園selection」にてカバーし、2008年6月発売のアルバム『THE IDOLM@STER RADIO COLORFUL MEMORIES』にも収録された。
- 2009年(平成21年)12月発売の井上堯之のアルバム『COMEBACK』に、カバーが収録されている。
- 2011年(平成23年)10月発売のアルバム「『日常』の合唱曲」に佐咲紗花がこの曲をカバーし、「日常」第22話エンディングで使用している。
- 2012年(平成24年)2月発売のアルバム『六弦心』に、同アルバムのプロデューサーである山本恭司がこの曲をギターソロでカバーしている。
脚注
参考文献
- 文部省、1884、「第五十三 あふげば尊し」『小學唱歌集 第三編』テンプレート:近代デジタルライブラリー。
外部リンク
テンプレート:Song-stub- ↑ 原典(文部省 1884)のホ長調を掲載。
- ↑ 元歌のmidi
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite web
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- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ 10.0 10.1 テンプレート:Cite book
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