ベルガモ
テンプレート:コムーネ ベルガモ(テンプレート:Lang-itテンプレート:IPA audio link)は、イタリア共和国ロンバルディア州中部にある都市で、その周辺地域を含む人口約11.5万人の基礎自治体(コムーネ)。ベルガモ県の県都。
ミラノの北東約40km、アルプスの麓に位置する。ルネサンス期にはヴェネツィア共和国の領土となった。市街は、丘の上の旧市街チッタ・アルタ(上の町)と、丘の下の新市街チッタ・バッサ(下の町)からなる。城壁に囲まれたチッタ・アルタには、中世の面影を残す景観や多くの文化財があり、観光地となっている。整然と作られたチッタ・バッサは、19世紀以降商工業の中心として発展した。ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」はここが舞台である。
目次
名称
標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。
- ロンバルディア語ベルガモ方言テンプレート:Enlink: Bèrghemテンプレート:IPA audio link
地理
位置・広がり
ミラノの北東約40kmに位置する。
隣接コムーネ
隣接するコムーネは以下の通り。
- アッツァーノ・サン・パオロ
- クルノ
- ゴルレ
- ラッリオ
- モッツォ
- オーリオ・アル・セーリオ
- パラディーナ
- ポンテラーニカ
- セリアーテ
- ソリーゾレ
- ステッツァーノ
- トッレ・ボルドーネ
- トレヴィオーロ
- ヴァルブレンボ
市街
ベルガモは旧市街のチッタ・アルタと呼ばれるベルガモ・アルタと、FSの駅がある新市街のチッタ・バッサと呼ばれるベルガモ・バッサとに分けることができる。
- Bergamo salita centro.jpg
ベルガモ・アルタへの道
- Bergamo piazza raddrizzata.jpg
ヴェッキア広場とアンジェロ・マイ図書館
- Bergamo accademia carrara esterno.jpg
美術館アッカデミア・カッラーラ
- Bergamo colleoni detail.jpg
コッレオーニ礼拝堂
歴史
古代
ベルガモの起源は、ケルト系の民族であるCenomaniによって建設された古代の都市ベルゴムム(テンプレート:Lang-la)である。紀元前49年、この街は共和政ローマのムニキピウムとなり、最盛期には1万人の住民が暮らしていた。この都市はフリウリとラエティアを結ぶ軍事道路の重要な結節点であった。5世紀に入ると、アッティラによって破壊された。
中世
6世紀よりランゴバルド王国の支配下に入り、ブレシアやトレント、チヴィダーレ・デル・フリウーリとともに、北イタリアにおける王国の重要な拠点となった。この都市を支配した最初のランゴバルド人のドゥクステンプレート:Enlinkは Wallaris であった。
8世紀後半、ランゴバルド王国がフランク王国のカール大帝によって征服されると、この街は Auteramus の領国の首都となった。
11世紀以降、ベルガモは自治都市となり、ロンバルディア同盟の一員として、1165年に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世を撃退した。教皇派と皇帝派の対立は、この街では教皇派に属するスアルディ家テンプレート:Enlinkと皇帝派に属するコッレオーニ家テンプレート:Enlinkの対立としてあらわれた。
1250年ごろ、オモデオ・タッソテンプレート:Enlinkは両勢力の反目を避けて北へ逃れている。13世紀、オモデオ・タッソの一族は、この街の郵便事業を組織化するために戻ってきた。彼らは、のちに近代的郵便事業の嚆矢とされるテンプレート:仮リンクの創始者として知られるテンプレート:仮リンクの祖先である。
1264年以後、ベルガモは断続的にミラノの支配下に置かれた。1331年、ベルガモの市民はボヘミア王ヨハン・フォン・ルクセンブルクに都市を献じてその庇護下に入ったが、ミラノのヴィスコンティ家が再征服した。
ルネサンスと近代
1407年にテンプレート:仮リンクが短期間支配したあと、1428年にはヴェネツィア共和国の支配下に入り、以後1797年までその一部となった。15世紀、ヴェネツィア共和国のもとで傭兵隊長(コンドッティエーレ)のバルトロメーオ・コッレオーニがこの街の領主となった。
ヴェネツィア人たちは、チッタ・アルタを要塞化した。
1797年、ベルガモはフランス共和国のナポレオンに征服される。以後、ミラノなど北イタリアの諸地域ともどもその領域に組み込まれ、チザルピーナ共和国、イタリア共和国、イタリア王国の一部となった。
19世紀以後
1815年、ウィーン議定書に基づきオーストリア帝国領(ロンバルド=ヴェネト王国の一部)となることが確認された。
第二次イタリア独立戦争中の1859年、この都市はサルデーニャ王国に従ったジュゼッペ・ガリバルディによって解放された。1860年にガリバルディが義勇軍「千人隊」テンプレート:Enlinkを集めた際、この街からはフランチェスコ・ヌッロテンプレート:Enlinkなど63人が参加した。ベルガモは最も多くの千人隊兵士を輩出した都市であり、イタリア統一運動(リソルジメント)に果たした功績によって「千人隊の町」(Città dei Mille)とも呼ばれる。
1861年にイタリア統一が成り、イタリア王国が成立すると、ベルガモはその一部となった。
20世紀、ベルガモはイタリアの主要工業都市の一つとなった。ベルガモは、第二次世界大戦で大きな戦災を被らなかった数少ない大都市のひとつである。
行政
分離集落
ベルガモには、以下の分離集落(フラツィオーネ)がある。
- Fontana, Astino, Longuelo, Grumello del Piano, Campagnola, Colognola, Boccaleone, Celadina, Redona, Valtesse, San Vigilio, Borgo Palazzo
文化・観光
- 旧市街
- チッタデッラ(城塞)と考古学博物館及び自然史博物館
- ヴェッキア広場
- テンプレート:仮リンク
- テンプレート:仮リンク
- サンタ・マリア・マッジョーレ教会
- コッレオーニ礼拝堂
- 洗礼堂
- テンプレート:仮リンク
- テンプレート:仮リンク(城塞)
- ロレンツォ・ロタ植物園
- 新市街
- アッカデミア・カッラーラと近現代美術ギャラリー
交通
郊外のオーリオ・アル・セーリオにオーリオ・アル・セーリオ空港(ベルガモ空港)がある。
スポーツ
プロサッカークラブとしてアタランタBCがある。本拠地はスタディオ・アトレティ・アズーリ・ディターリア。1907年創設と歴史あるチームで、コッパ・イタリア獲得1回(1962-63)を記録する。セリエA(1部)とセリエB(2部)との間で昇格・降格を繰り返すクラブであるが、選手育成には定評がある。2014-2015シーズンはセリエAに属する。
女子バレーボールクラブ、バレー・ベルガモの本拠地である。1994-95シーズン以来イタリア国内トップリーグであるセリエA1に属しており(2013-14シーズン現在)、セリエA優勝8回、コッパ・イタリア優勝5回、スーペルコッパ・イタリアーナ優勝6回、欧州チャンピオンズリーグ優勝7回(2014年現在)を数える強豪である。
アメリカンフットボールチーム、ベルガモ・ライオンズの本拠地である。テンプレート:仮リンク(イタリア選手権)優勝12回、テンプレート:仮リンク優勝3回、チャンピオンリーグ優勝1回などの記録(2014年現在)を持つ、イタリア屈指のチームである。
人物
著名な出身者
- ピエトロ・ロカテッリ - 18世紀の作曲家
- ガエターノ・ドニゼッティ - 19世紀の作曲家。
- アンジェロ・マッツォーラ - 作曲家、ギタリスト
- カルロ・エミリオ・ボンフェローニ - 数学者
- ジャコモ・マンズー - 彫刻家
- カルロ・ウビアリ - オートバイレーサー
- ヴァルテル・ボナッティ - 登山家
- アンドリュー・ビタビ - 電気工学者
- コスタンティノ・ロッカ - プロゴルファー
ゆかりの人物
- バルトロメーオ・コッレオーニ - 15世紀の傭兵隊長(コンドッティエーレ)、ベルガモの領主。
姉妹都市
- テンプレート:Flagicon グリーンヴィル(アメリカ合衆国)
- テンプレート:Flagicon プエブロ(アメリカ合衆国)
- テンプレート:Flagicon ミュールーズ(フランス)
- テンプレート:Flagicon トヴェリ(ロシア)
- テンプレート:Flagicon 蚌埠市(中国)
- テンプレート:Flagicon ブエノス・アイレス(アルゼンチン)
脚注
外部リンク
- Bergamo official website
- 小川熙「イタリア12小都市物語・11 ベルガモ」, 『SPAZIO』 no.66(NTTデータ ジェトロニクス)
- テンプレート:Kotobank
- テンプレート:Kotobank
- テンプレート:Kotobank