古谷綱正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年3月14日 (金) 00:23時点におけるささら (トーク)による版 (一族)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:出典の明記 古谷 綱正ふるや つなまさ1912年4月15日 - 1989年5月11日)は、日本ジャーナリストニュースキャスター

人物・来歴

東京出身。旧制成城高等学校を経て京都帝国大学文学部に入学し、滝川事件時には文部省による大学自治への干渉に反対、花田清輝高木養根らとともに学生運動の中心となった。卒業後、1935年東京日日新聞社(のちの毎日新聞社)へ入社。整理部、学芸部などを歴任。整理部時代の1941年12月8日、当日の朝刊では唯一となる「日米開戦」スクープの紙面作りにも携わっている。1953年に論説委員となり、巻頭コラム「余録」を執筆。1964年にフリーとなる。毎日新聞社在職中の1962年10月1日から開始したTBSテレビの総合ニュース『JNNニュースコープ』のメインキャスター(1964年4月~1981年3月)を務めた。 1975年度日本記者クラブ賞受賞。

優しく親しみのあるキャラクターと分かりやすい解説で視聴者の人気を得た。 特にニュース原稿を読む場合「○○にある」「○○でおこった」などとするところを「○○にあります」「○○で発生いたしました」などと丁寧な表現を使うことが多かった。日本のウォルター・クロンカイトとも評される。その人気のほどは、まだニュースキャスターやアナウンサータレント化現象が皆無だった1970年代後半、楳図かずおの漫画『まことちゃん』に彼を模したと思われるニュースキャスターが出てきたことからも伺える。また、エンディングにはクロンカイトに倣い「それでは今日はこんなところです。」と挨拶したが、それがなまったのか「こってすおじさん」とも言われた。

映画にも造詣が深く、映画評論の著書も著した。

また、宮内庁からの園遊会への招待を生涯断り続け、新聞記者達から「だから彼のニュースコープは人気がある」と快哉を浴びた(夫人による回顧録『こんばんは、古谷綱正です~あるジャーナリストの肖像』〔鎌倉書房 1991年刊〕より)。

一族

父の古谷重綱は外交官でアルゼンチン公使を務めた。伊藤博文の秘書官を務めた古谷久綱は伯父。文芸評論家の古谷綱武は実兄。実業家の山下亀三郎は族伯祖父。俳優の滝沢修は義弟(実妹・文子の夫)。家事評論家の吉沢久子は義姉(綱武の妻)。綱武の長男、昭綱は京都大学卒業後、TBSに入社。『8時だョ!全員集合』のディレクタープロデューサーを務めた。

著書

テンプレート:毎日新聞社 テンプレート:JNNニュースコープ キャスター