清水港
清水港(しみずこう)は、静岡県静岡市清水区にある港湾。港湾管理者は静岡県。港湾法上の国際拠点港湾に指定され、また、中核国際港湾にも指定されている。さらに、港則法上の特定港にも指定されている。神戸港・長崎港と共に『日本三大美港』の一つ。
概要
清水港は、富士山を仰ぎ、三保の松原に囲まれた美しい港で外国船員の人気も高く、長崎、神戸とともに日本三大美港の一つに数えられている。このためクルーズ客船の寄港も多い。また、その景観を活かして近年は「市民の憩いの場」、および「観光の場」として公園やヨットハーバー及び大型観光商業施設等の施設整備、さらに「みなと色彩計画」により、富士山など周囲の景観に調和する青を基調とした港湾整備も進められている[1]。日の出埠頭付近には城壁をイメージした自然石の回廊を配した公園も整備されている。貿易一辺倒の港から観光港としての比重が高まっている。
現在、横浜港、名古屋港といった国内一、二を争う大港湾に挟まれ厳しい競争にさらされている。これに対し、海外定期航路の更なる誘致[2]、コンテナターミナルの拡充・整備をしつつ、24時間荷役体制、港湾利用料金を五大港以下とするなどの努力により荷主の利用拡大を図っている。また、内陸や日本海側に通じる中部横断自動車道の整備が進められているため、山梨県、長野県方面の荷主の獲得をも目指している[3]。
歴史
663年「やまとの国の救将 廬原君臣 健児(兵士)万余を率いて(清水湊を出て)海を越えて百済(くだら)に至らむ(=朝鮮白村江の戦い)」、これが清水港が史書(日本書紀)に出てくる最初である。
16世紀には駿河に侵攻した武田氏の水軍基地となるが、その後、徳川家康が水軍の拠点とした。また、駿府城の築城や補修の資材が清水湊から巴川を遡り運搬された。江戸時代に入ると、駿河をはじめ甲斐、信濃の江戸幕府領地からの年貢が富士川沿いの鰍沢河岸、岩淵河岸に集められ、ここから清水湊に送られ、大型船に積み替えられて江戸へ回送された。また赤穂の塩など西国から江戸への物資の中継基地でもあった。
明治に入り、幕府より許可されていた廻船問屋42軒の特権が剥奪されると一旦は寂れるが、1899年に開港場に指定されると、茶を扱う外国商社が多く置かれ、戦前は茶の主要輸出港として栄える。
戦後(昭和27年)特定重要港湾(現・国際拠点港湾)の指定を受けると共に、静岡県の産業発展を背景に清水港も規模を拡大し、現在では二輪自動車・自動車部品・機械類などの輸出港として、またボーキサイト(アルミの原鉱)・液化天然ガス等の輸入港として国際貿易港としては中枢国際港湾に次ぐ位置を占める。
定期航路
- 国際定期コンテナ航路 : 欧州、北米、アジア等
- 駿河湾フェリー:清水港 - 土肥港
- 水上バス:江尻・日の出埠頭 - 三保塚間、貝島、静岡市清水港海釣り公園
尚、2006年3月まではテクノスーパーライナー「希望」が、清水港と下田港を結んでいたが、廃止された。
埠頭
- 新興津埠頭
- 興津第1埠頭
- 興津第2埠頭
- 袖師第1埠頭
- 袖師第2埠頭
- 江尻埠頭
- 日の出埠頭
- 富士見埠頭
関連項目
出典
- ↑ 清水港みなと色彩計画 2011年8月21日閲覧
- ↑ 清水港客船誘致委員会 2011年8月21日閲覧
- ↑ 国土交通省関東地方整備局 新直轄中部横断自動車道 p.8 2011年8月21日閲覧