川辺郡 (鹿児島県)
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川辺郡(かわなべぐん)は、薩摩国・鹿児島県の郡。人口28,788人、面積247.54km²。(2003年)
消滅直前となる2007年11月30日の時点で、以下の2町を含んでいた。
2007年12月1日、川辺町、知覧町が揖宿郡頴娃町と合併し、南九州市となったため消滅した。
沿革
- 1896年(明治29年)3月29日 - 給黎郡知覧村が川辺郡に移行。(8村)
- 1897年(明治30年)4月1日 - 川辺郡十島が川辺郡を離脱し大島郡に移行。
- 1923年(大正12年)1月1日 - 西加世田村が笠沙村に改称。
- 1923年(大正12年)7月1日 - 東南方村が町制施行・改称し枕崎町となる。(1町7村)
- 1923年(大正12年)10月13日 - 川辺村が町制施行し川辺町となる。(2町6村)
- 1924年(大正13年)1月1日 - 加世田村が町制施行し加世田町となる。(3町5村)
- 1925年(大正14年)1月1日 - 東加世田村が町制施行・改称し万世町となる。(4町4村)
- 1932年(昭和7年)4月1日 - 知覧村が町制施行し知覧町となる。(5町3村)
- 1940年(昭和15年)11月10日 - 笠沙村が町制施行し笠沙町となる。(6町2村)
- 1949年(昭和24年)9月1日 - 枕崎町が市制施行し、枕崎市となり郡より離脱。(5町2村)
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 笠沙町から大浦村が分立。(5町3村)
- 1953年(昭和28年)10月15日 - 西南方村が坊津村に改称。
- 1954年(昭和29年)7月15日 - 加世田町・万世町が合併し、加世田市が発足、郡より離脱。(3町3村)
- 1955年(昭和30年)11月1日 - 坊津村が町制施行し坊津町となる。(4町2村)
- 1956年(昭和31年)9月1日 - 川辺町・勝目村が合併し、川辺町が発足。(4町1村)
- 1961年(昭和36年)11月1日 - 大浦村が町制施行し大浦町となる。(5町)
- 2005年(平成17年)11月7日 - 笠沙町・大浦町・坊津町が加世田市、日置郡金峰町と合併し、南さつま市が発足、郡より離脱。(2町)
- 2007年(平成19年)12月1日 - 知覧町・川辺町が揖宿郡頴娃町と合併し、南九州市が発足、郡より離脱。同日川辺郡消滅。
明治22年4月1日 | 明治22年 - 明治45年 | 大正1年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和20年 | 昭和21年 - 昭和30年 | 昭和31年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
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加世田村 | 加世田村 | 大正13年1月1日 町制 |
加世田町 | 昭和29年7月15日 加世田市 |
加世田市 | 平成17年11月7日 南さつま市 |
南さつま市 |
東加世田村 | 東加世田村 | 大正14年1月1日 町制改称 万世町 |
万世町 | ||||
西加世田村 | 西加世田村 | 大正12年1月1日 改称 笠沙村 |
昭和15年11月10日 町制 |
笠沙町 | 笠沙町 | ||
昭和26年4月1日 分立 大浦村 |
昭和36年11月1日 町制 | ||||||
西南方村 | 西南方村 | 西南方村 | 西南方村 | 昭和28年10月15日 改称 坊津村 昭和30年11月1日 町制 |
坊津町 | ||
東南方村 | 東南方村 | 大正12年7月1日 町制改称 枕崎町 |
枕崎町 | 昭和24年9月1日 市制 |
枕崎市 | 枕崎市 | 枕崎市 |
川辺村 | 川辺村 | 大正12年10月13日 町制 |
川辺町 | 川辺町 | 昭和31年9月1日 川辺町 |
平成19年12月1日 南九州市 |
南九州市 |
勝目村 | 勝目村 | 勝目村 | 勝目村 | 勝目村 | |||
給黎郡 知覧村 |
明治29年3月29日 川辺郡 |
知覧村 | 昭和7年4月1日 町制 |
知覧町 | 知覧町 | ||
(町村制未施行) | 明治30年4月1日 大島郡 明治41年4月1日 (島嶼町村制施行) 大島郡十島村 |
大正9年 (島嶼指定解除) 大島郡十島村 |
大島郡 十島村 |
昭和27年2月10日 大島郡十島村 |
昭和48年4月1日 鹿児島郡 |
鹿児島郡 十島村 |
鹿児島郡 十島村 |
昭和27年2月10日 大島郡三島村 |
鹿児島郡 三島村 |
鹿児島郡 三島村 |