集団的自衛権
テンプレート:告知 テンプレート:Pathnav テンプレート:混同 集団的自衛権(しゅうだんてきじえいけん、テンプレート:Lang-en、テンプレート:Lang-fr)とは、ある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利である[1][2]。その本質は、直接に攻撃を受けている他国を援助し、これと共同で武力攻撃に対処するというところにある[3]。
目次
沿革
集団的自衛権は、1945年に署名・発効した国連憲章の第51条において初めて明文化された権利である[1][4]。憲章第51条を以下に引用する。 テンプレート:Quotation 上記のように国連憲章には「固有の権利」として規定されたが、個別的自衛権(自国を防衛する権利)は同憲章成立以前から国際法上承認された国家の権利であったのに対し、集団的自衛権については同憲章成立以前にこれが国際法上承認されていたとする事例・学説は存在しない[1]。
1944年にダンバートン・オークス会議において採択され、後に国連憲章の基となったダンバートン・オークス提案には、個別的または集団的自衛に関する規定は存在しなかった[1][5]。しかし後に国連憲章第8章に定められた“地域的機関”(欧州連合やアフリカ連合などの地域共同体のこと)による強制行動には、安全保障理事会による事前の許可が必要とされることとなり、常任理事国の拒否権制度が導入されたことから常任理事国の拒否権発動によって地域的機関が必要な強制行動を採れなくなる事態が予想された[4]。このような理由から、サンフランシスコ会議におけるラテンアメリカ諸国の主張によって、安全保障理事会の許可がなくても共同防衛を行う法的根拠を確保するために集団的自衛権が国連憲章に明記されるに至った[1][4]。
冷戦期には集団的自衛権に基づいて北大西洋条約機構(NATO)やワルシャワ条約機構(WTO)といった国際機関が設立され、集団的自衛を実践するための共同防衛体制が構築された[4]。しかし冷戦が終結するとワルシャワ条約機構は解体されるなど、このような集団的自衛権に基づく共同防衛体制の必要性は低下していった[4]。
権利の性質
要件 | 個別的 | 集団的 |
---|---|---|
必要性 | 15px | 15px |
均衡性 | 15px | 15px |
攻撃を受けた旨の表明 | 15px | 15px |
援助要請 | 15px | 15px |
ニカラグア事件判決によると、10pxで示した要件のうちいずれかひとつでも満たさない場合には正当な自衛権行使とは見なされない[6][7][8]。 |
国家の自衛権は、国際慣習法上、すでに19世紀には、自らの権利その他の利益に対する重大な損害を排除するために取ることのできる正当な手段として認められていたといわれるが、主権国家の権利として容認されていたこの自衛権とは、国連憲章にいうところの個別的自衛権である。20世紀、特に第一次世界大戦以降は、この自衛権の行使は次第に、不正な侵害の全てに対してではなく、武力攻撃による権利・利益の侵害に対処する場合に限定して容認されるようになっていき、国連憲章に至ったとされる[9]。個別的自衛権は国連憲章成立以前から認められた国家の慣習国際法上の権利であり、上記の国連憲章第51条において個別的自衛権を「固有の権利」としているのはこの点を確認したものである[10]。
このように個別的自衛権が国際法上も長い伝統を有する概念であるのに対して、集団的自衛権は、国連憲章に現れるまで、国際慣習法上の権利としては論じられたことがないものであった。こうした新たな権利が個別的自衛権と並んで国家の「固有の権利」と位置づけられるに至った背景には、国連憲章第53条において、加盟国が地域的取極に基いて強制行動を取るためには安全保障理事会の許可を得なければならない旨が定められたことに対して、ラテンアメリカ諸国が強い反発を見せたことがあるとされているテンプレート:Sfn。
集団的自衛権が攻撃を受けていない第三国の権利である以上、実際に集団的自衛権を行使するかどうかは各国の自由であり、通常第三国は武力攻撃を受けた国に対して援助をする義務を負うわけではない[1]。そのため米州共同防衛条約、北大西洋条約、日米安全保障条約などのように、締約国の間で集団的自衛を権利から義務に転換する条約が結ばれることもある[1]。国際慣習法上、相手国の攻撃が差し迫ったものであり他に選択の余地や時間がないという「必要性」と、選択された措置が自衛措置としての限度内のものでなければならないという「均衡性」が、国家が合法的に個別的自衛権を行使するための条件とされる[10][11]。
1986年、国際司法裁判所はニカラグア事件判決において、集団的自衛権行使のためには上記のような個別的自衛権行使のための要件に加えて、武力攻撃を受けた国がその旨を表明することと、攻撃を受けた国が第三国に対して援助要請をすることが、国際慣習法上要件とされるとした[11][8]。第三国の実体的利益に対する侵害が存在するか否かという点を要件とするかについては現在も意見の相違がある[1][11]。つまり、第三国の実体的利益に対する侵害が集団的自衛権行使の要件として必要とする立場では第三国も攻撃を受けた国と同様に単独で個別的自衛権を行使できる場合にしか集団的自衛権行使は認められないとするのに対し、第三国の実体的利益に対する侵害が要件として不要とする立場では集団的自衛権は攻撃を受けた国の武力が不十分である場合に国際平和と安全のため行使される共同防衛の権利であり、第三国の実体的利益への侵害は無関係であるとする[2][11]。ニカラグア事件国際司法裁判所判決もこれらのうちいずれの見解を採用したものであったのか明確ではない[11]。
中立との関係
テンプレート:See also 戦争の合法的な存在を背景とした、かつての戦争の非当事国にまつわる権利義務の総体を中立法といい、20世紀初頭以降に戦争が違法化されていくにしたがって中立法の適用そのものは否定されないものの、その適用範囲を狭ばめていく傾向がみられた[12]。かつてはテンプレート:仮リンクのもとで両交戦国に対して等しい地位が認められたが、国際連盟規約や不戦条約が戦争を違法なものとして定めて以降、それまでの中立概念は変容し、一方では違法な戦争を行う国ともう一方ではそのような武力行使に対して自衛権を行使する被害国とに交戦国は明確に区別されるようになった[13]。
この被害国を援助するために第三国が集団的自衛権を行使する場合、伝統的に第三国に強制された中立の地位を離脱する事態が生じる[13]。第二次世界大戦中から交戦状態に入らない第三国が一方の交戦国を公然と支援するという実行がみられるようになり、この時代から中立以外に第三国がとりうる立場として「非交戦国」という立場が論じられ始めるようになった[13]。その後国連憲章第2条4項はすべての武力による威嚇、または武力の行使を違法化したため、今日では国連による集団的措置を除いて自衛権が国家間における武力行使を法的に正当化する唯一の根拠となる[12]。この「非交戦国」が慣習国際法上確立したとする立場では、第三国は他国の武力紛争に対して適法な形で中立義務を離脱することが可能となるが、現代においてもこうした「非交戦国」という立場が確立しているか否かについては争いがある[13]。
ベトナム戦争では、中立国であったカンボジアに侵攻したアメリカ合衆国は、自らの軍事行動がカンボジアによる中立国の防止義務不履行を理由に集団的自衛権の行使として正当化されると主張した[14]。ここでいう中立国の防止義務とは、中立国は交戦国の一方に軍事的に利するような形で自国領域を使用させてはならないとする義務のことであり、アメリカ侵攻当時北ベトナムとベトコンに一部占領されていたカンボジアはこの中立国の防止義務を果たすことができていないとしたのである[14][15]。アメリカはカンボジアへの侵攻がカンボジア侵略勢力を排除するために時間的・範囲的に限定されたものであり、カンボジアそのものを標的としたものではなかったとして均衡性の要件(#権利の性質参照)も満たすものであったと主張した[14]。ただし多くの同盟国領域内に軍事拠点を使用し、従来よりこうした第三国領域内の軍事施設に対する攻撃を強く非難する立場をとってきたアメリカのそれまでの政策と、このカンボジア侵攻の際のアメリカの主張は対極に位置することから、アメリカのカンボジア侵攻は二重基準として批判を受けることとなった[14]。
集団的自衛権の行使に当たるとされる事例
- ハンガリー動乱
- チェコスロバキア動乱
- ベトナム戦争
- コントラ戦争
- 9・11テロを受けてのタリバン政権下のアフガニスタンに対する米軍の攻撃とそれに伴う北大西洋条約機構 (NATO) 加盟のヨーロッパ諸国のとった軍事行動テンプレート:Sfn
権利の濫用
冷戦期に、特にアメリカ合衆国とソビエト連邦はその勢力内での反体制活動を抑えるため武力行動を行い、その法的根拠として集団的自衛権を主張した[16]。しかしこれらの武力行動は外部からの武力攻撃が発生していない状態で行われたものであり、これらの武力行動を集団的自衛権として正当化することは困難である[16]。
日本における集団的自衛権
内閣官房及び首相安倍晋三の答弁によれば[17]、日本における集団的自衛権の行使の要件として、日本に対する武力攻撃、又は日本と密接な関係にある国に対して武力攻撃がなされ、かつ、それによって「日本国民」に明白な危険があり、集団的自衛権行使以外に方法がなく、必要最小限度の実力行使に留まるという要件が必要である。これを自衛の措置としての武力の行使の「新三要件」という。あくまで集団的自衛権の趣旨は日本国民を守るものであるため、密接な関係にあったとしても、他国民の保護のための行使はできない。また、専守防衛は堅持していくとし、先制攻撃は許されていない。海外派兵についても許されていない。
日本国内では「集団的自衛権は、国際法上、同盟国を守るために海外に派兵する権利」と見て反対する憲法学者らもおり[18]、「集団的自衛権」そのものの概念について、食い違いが生じている。
首相安倍晋三によれば「紛争中の外国から避難する邦人を乗せた米輸送艦を自衛隊が守れるようにする」というのが集団的自衛権の行使事例だという。また、内閣官房長官菅義偉によれば、「新三要件を満たせば、中東ペルシャ湾のホルムズ海峡で機雷除去が可能だ」としており、「原油を輸送する重要な航路に機雷がまかれれば、国民生活にとって死活的な問題になる」としている[19]。
しかしながら内閣官房の概要によれば、「石油なしで国民生活は成り立たないが、代替エネルギー利用を進め、外交や国際協調に全力を尽くしており、憲法上許されるのは、国民の命と平和な暮らしを守るための自衛措置のみであるから、石油のために集団的自衛権の行使を行う事はできない」としている。
現実問題として、機雷除去については、集団的自衛権があるか否かに関わらず、停戦後であれば、「警察権の行使」として危険物を除去していると解釈することで行う事ができるとしている。しかしながら、戦時中の場合、「集団安全保障」措置に基づいていても、自衛隊は参加できないと解釈していたが、2014年6月20日に自民党は、攻撃を伴わない機雷掃海活動について、集団安全保障措置の下で武力行使を認めたいと主張した。[20]
あくまで、これらは安倍内閣における憲法解釈であって、内閣によって異なる可能性は存在している。
従来の政府見解
集団的自衛権は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する国際法上の権利」と定義している[21] 国連憲章において、集団的自衛権が個別的自衛権と並んで、国家に固有の権利とされたことを踏まえ、サンフランシスコ平和条約やMSA協定につづいて、日米安全保障条約の前文においても、日本が「集団的自衛の固有の権利」を有することを確認する旨が明記された[22]。
第9条と集団的自衛権
第9条の下では、自国が武力攻撃を受けていない状況下でわが国が同盟国等のために武力行使をすることは許されない、とする政府の憲法解釈は、集団的自衛権の定義について議論があった当時から変わっていない[23][24][25][26][27][28]。
自衛権の必要最小限度の範囲と質的・量的概念
政府は、昭和47年10月14日第66回参議院決算委員会政府提出資料において「(自衛の)措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである」としていることを述べたことを踏まえて、これ以後、集団的自衛権の行使を違憲とする理由を端的に、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものであるから、とすることが多かった。[28]テンプレート:Sfn しかしながら、集団的自衛権を行使するに際してもその実力の行使が「必要最小限度」にとどまらなければならないとされていることもあって、これを「超える」という表現は、あたかも集団的自衛権の個別的自衛権との相違が、自衛力の増強の限界を論じるときと同様の、いわば量的なものにすぎないかのような誤解をもたらすことになった。その結果、集団的自衛権の行使が「必要最小限度の範囲内」にとどまるかどうかは、防衛費の対GDP比と同じように政治的な判断に委ねられるべきであるとか、必要最小限度の範囲内にとどまる集団的自衛権の行使があるのではないかといった趣旨の議論を招くことにもなった。なお平成16年1月26日衆議院予算委員会での秋山内閣法制局長官で述べるところは、わが国の自衛権の行使は、武力攻撃からわが国や国民を護るための措置であり、従ってわが国に対する武力攻撃の発生をその初動の要件とするのに対して、集団的自衛権は、わが国に対する武力攻撃が発生しておらず、国民や国の存立が直接危険にさらされていない状況下での武力行使である点において、個別的自衛権とは決定的にその性格を異にする[29][30][31][32]テンプレート:Sfn。 上のような混乱を避ける為に、近年は、集団的自衛権の行使を違憲とする理由について、わが国の武力行使が必要最小限度の範囲を超えるから、といった表現を避けて、わが国に対する武力攻撃が発生していないからと説明することが通例になっている[33]。 「わが国に対する武力攻撃の発生は、必ずしもわが国での被害の発生を意味するものではないが、武力攻撃のおそれや蓋然性では足りない。集団的自衛権であっても個別的自衛権の行使と同一視出来るようなものの行使は容認されるのではないか、とする質問に対して、政府は、設問の状況が「わが国に対する組織的・計画的な武力の行使」が認められるものであれば、個別的自衛権の発動によって対処が可能であり、それ以外の場合の実力の行使は、許されないとして、集団的自衛権の部分的な容認という考え方を否定している[34][35]。
日本国外との関係
日米安全保障条約の審議
集団的自衛権に関する本格的な議論が初めて国会に登場するのは、日米安全保障条約の審議の際である。しかし、当時は、集団的自衛権の概念自体が必ずしも一義的でなかったテンプレート:Sfn[25][26][27]。集団的自衛権は、新しい概念であったことから、これを行使する国の権利・利益に対する危険の存在を要件とするか、その発動に特別の条約関係を必要とするか等々学会でも様々な議論があり、日米安全保障条約の改定をめぐる国会論戦が繰り広げられた昭和30年代半ばの時点では、基地提供など、武力行使以外の交戦当事国への便宜提供や経済的援助をも含む概念かどうか、いわばその外延に関しても必ずしも定説が得られない状況であった[36][37]。
日本政府は昭和40年代の後半以降は、明確に、集団的自衛権を、もっぱら実力の行使に係る概念であり、基地提供のような便益の供与まで含むものでないことや自国の安全に対する脅威をその発動要件としないことと定義しているテンプレート:Sfn。従来より必要最小限度の範囲の自衛権の措置は認めていたが、1981年の閣議決定において、集団的自衛権の行使は認められないとしており、2014年7月7日15時まで防衛省のホームページ上には、集団的自衛権は認められないと掲載されていた[38]。また、自衛権の行使についても、「わが国に対する急迫不正の侵害があること」という要件が表記されていた[39]。
日本国外の反応
他国における、日本の集団的自衛権の考え方は、日本政府の解釈とは異なっているテンプレート:要出典。フィリピンの大統領アキノは「他国を支援する権限を持つことで、アジア地域に恩恵をもたらすことができると信じている」と述べている[40]。また首相安倍晋三は、集団的自衛権容認について、「地域、国際社会の平和と安定に寄与するもの」としており、ニュージーランドの首相キーは中国が海洋進出を強める南シナ海、東シナ海情勢に関し「平和と安定が不可欠だ」として事実上、日本の集団的自衛権を容認している[41]。安倍は日米同盟を強化する事で、抑止力が高まるという視点から、集団的自衛権が存在し、対外的にアピールする事によって「日本が戦争に巻き込まれるおそれは一層なくなっていく」と主張している。
日本国外の、日本の集団的自衛権に対する取り組みについての反応は、アメリカ合衆国のヘーゲル国防長官は、集団的自衛権の行使を容認する決断に対して、歓迎を表明した[42]。イギリスのテンプレート:仮リンク国防相は、「これらの改革は、日本が世界平和と安保により責任を持つようになってきた自然な流れだ」として憲法解釈変更の閣議決定を歓迎した[43]。ドイツ政府は、「国連の平和維持活動に積極的に参加できるようになり、ドイツ政府は歓迎する」と評価した[44]。オーストラリアの外務貿易省は、国際平和や安定への貢献拡大が可能になる」と歓迎するコメントを発表した[45]。カナダは、ベアード外相が支持を表明している[46]。
一方、ロシア外務省の情報報道局長ルカシェビッチは安倍内閣が掲げる積極的平和主義の意味も含め、今後どのような安全保障政策をとるかを注意深く見守る考えを示している。その上で「第2次大戦の結果を全面的に認め、日本の軍国主義の犯罪を正当化するような試みを看過しないことを期待している」と指摘し、「周辺国が敏感に反応することを日本は自覚しなければならない」と発表した[47]。
中国、韓国は日本の集団的自衛権に否定的であるが、その2カ国以外に日本の集団的自衛権容認の動きを批判する国は見られない[48]。
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 筒井、176頁。
- ↑ 2.0 2.1 山本、736頁。
- ↑ 安田、225頁。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 杉原、459頁。
- ↑ 筒井、235頁。
- ↑ 杉原、456頁。
- ↑ 杉原、460頁。
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:Cite journal
- ↑ 山本、733頁。
- ↑ 10.0 10.1 山本、732頁。
- ↑ 11.0 11.1 11.2 11.3 11.4 杉原、459-460頁。
- ↑ 12.0 12.1 森田(2005)、137頁。
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 森田(2005)、139-141頁。
- ↑ 14.0 14.1 14.2 14.3 森田(2005)、154-156頁。
- ↑ 森田(2005)、137-139頁。
- ↑ 16.0 16.1 山本、737-739頁。
- ↑ 内閣官房の概要
- ↑ 集団的自衛権 憲法学者らが反対の会見
- ↑ ホルムズ海峡で機雷除去「可能」 集団的自衛権で菅氏
- ↑ シーレーン封鎖に危機感 集団安保で機雷掃海なぜ必要 ホルムズ海峡での活動想定
- ↑ 内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書二の1及び4のアについて
- ↑ 第68回参議院内閣委員会11号21頁 外務省条約局長水口宏三「集団的自衛権を放棄している、憲法に禁止している、そう解釈をおとりになってるわけでしょう。日本国憲法第9条は個別的自衛権を最小限度の形で武力を行使することは認めていると、ただし集団的自衛権の武力行使は認めていないという解釈をお餅になってるわけでしょう。じゃなぜ一体日米安全条約の前文で、わが国が集団的な自衛権を持ってるということを日米の合意、むしろ確認してるんですよ、何でこれでもって放棄してないんですか。政府委員高島益郎「これは国連憲章はもとより、日本の入っております諸条約――平和条約をはじめ日米安保条約、日ソ共同宣言、すべて主権国としての日本に個別的及び集団的自衛権があるということを書いてあります。これは先生のおっしゃるとおり、なるほど日本の憲法上の立場からしますると、理論的に自衛権を行使する方法は全くないわけでございまして、条約技術的に申しまして、日本については個別的自衛権だけしか持たないというふうなことを書くこともあるいは可能かと思いますが、これはしかし国際法上の一国家として、主権をみずから国際的に制限するというのは非常に問題があろうと思います。そういう立場から、平和条約及び国連憲章の規定のしかたに従ってすべてそういう方法で書いているわけでございます。」
- ↑ 第16回衆議院外務委員会9号20頁 外務省条約局長
- ↑ 第19回衆議院外務委員会57号4頁 外務省条約局長
- ↑ 25.0 25.1 第34回参議院予算委員会23号24頁 法制局長官 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name ".E7.AC.AC34.E5.9B.9E.E5.8F.82.E8.AD.B0.E9.99.A2.E4.BA.88.E7.AE.97.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A23.E5.8F.B724.E9.A0.81"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 26.0 26.1 [1] 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name ".E7.AC.AC34.E5.9B.9E.E5.8F.82.E8.AD.B0.E9.99.A2.E4.BA.88.E7.AE.97.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A23.E5.8F.B724.E9.A0.81_.E6.B3.95.E5.88.B6.E5.B1.80.E9.95.B7.E5.AE.98"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 27.0 27.1 第34回参議院予算委員会21号27頁 内閣総理大臣 引用エラー: 無効な
<ref>
タグ; name ".E7.AC.AC34.E5.9B.9E.E5.8F.82.E8.AD.B0.E9.99.A2.E4.BA.88.E7.AE.97.E5.A7.94.E5.93.A1.E4.BC.9A21.E5.8F.B727.E9.A0.81_.E5.86.85.E9.96.A3.E7.B7.8F.E7.90.86.E5.A4.A7.E8.87.A3"が異なる内容で複数回定義されています - ↑ 28.0 28.1 「憲法は、第9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が……平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第13条において「生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、……国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまでも外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の擁利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの擁利を守るための止むを得ない措置として、はじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武カ行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。」第66回参議院決算委員会 提出資料
- ↑ 第180回衆議院本会議30号7頁 今津寛君当然のことですが、我が国は主権国家として必要最小限度の自衛権を保持していることは、誰もが異論のないところです。今日、我が国が日米同盟を軸にして対応すべき脅威は多様化しており、例えば、近い将来、北朝鮮がアメリカ本土に達する長射程ミサイルを完成させ、また、我が国もICBMを迎撃できるミサイル防衛能力を整備したときに、我が国が当該ミサイルを迎撃することは、我が国の必要最小限度の自衛権と解すべきであります。憲法改正が最上の策であることは言うまでもありませんが、今、あるいは近い将来において、我々は、政治判断として、集団的自衛権の一部を必要最小限度と解すべき状況にあるのではないでしょうか。必要最小限度の質的、量的範囲は、情勢により変わるものです。そしてそれは、情勢に応じた政治判断のもとに行われるべきものです。政府の国家戦略会議のもとでのフロンティア分科会も、集団的自衛権に関する解釈など旧来の制度慣行の見直しを通じ、安保協力手段の拡充を図るべきだと記しています。我が国の憲法の前文にあるように、我らは国際社会において名誉ある地位を占めたいと思うと本当に決意するのであれば、今こそ、集団的自衛権の行使を認め、世界から尊敬される日本をともに目指そうではありませんか。
- ↑ http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=27280&SAVED_RID=3&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=8385&DPAGE=5&DTOTAL=98&DPOS=98&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=25000 第159回衆議院予算委員会2号5頁 内閣法制局長官]安倍委員「『わが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどまるべきものである』、こういうふうにありますが、『範囲にとどまるべき』というのは、これは数量的な概念を示しているわけでありまして、絶対にだめだ、こう言っているわけではないわけであります。とすると、論理的には、この範囲の中に入る集団的自衛権の行使というものが考えられるかどうか。その点について、法制局にお伺いをしたいというふうに思います。」秋山政府特別補佐人「集団的自衛権と憲法第九条の問題でございますが、お尋ねにございましたように、我が国が主権国家である以上、国際法上は集団的自衛権を有していることは当然でございますが、国家が国際法上、ある権利を有しているとしましても、憲法その他の国内法によりその権利の行使を制限することはあり得ることでございまして、国際法上の義務を国内法において履行しない場合とは異なり、国際法と国内法との間の矛盾抵触の問題が生ずるわけではございませんで、法律論としては特段問題があることではございません。……憲法解釈において政府が示している、必要最小限度を超えるか超えないかというのは、いわば数量的な概念なので、それを超えるものであっても、我が国の防衛のために必要な場合にはそれを行使することというのも解釈の余地があり得るのではないかという御質問でございますが、憲法九条は、戦争、武力の行使などを放棄し、戦力の不保持及び交戦権の否認を定めていますが、政府は、同条は我が国が主権国として持つ自国防衛の権利までも否定する趣旨のものではなく、自衛のための必要最小限度の実力を保有し行使することは認めていると考えておるわけでございます。その上で、憲法九条のもとで許される自衛のための必要最小限度の実力の行使につきまして、いわゆる三要件を申しております。我が国に対する武力攻撃が発生したこと、この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと、それから、実力行使の程度が必要限度にとどまるべきことというふうに申し上げているわけでございます。お尋ねの集団的自衛権と申しますのは、先ほど述べましたように、我が国に対する武力攻撃が発生していないにもかかわらず外国のために実力を行使するものでありまして、ただいま申し上げました自衛権行使の第一要件、すなわち、我が国に対する武力攻撃が発生したことを満たしていないものでございます。したがいまして、従来、集団的自衛権について、自衛のための必要最小限度の範囲を超えるものという説明をしている局面がございますが、それはこの第一要件を満たしていないという趣旨で申し上げているものでございまして、お尋ねのような意味で、数量的な概念として申し上げているものではございません。」
- ↑ http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a156119.htm 平成十五年七月八日提出質問第一一九号内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問主意書伊藤英成二・1・ア、イ、ウ]
- ↑ http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b156119.htm 内閣衆質一五六第一一九号 衆議院議員伊藤英成君提出内閣法制局の権限と自衛権についての解釈に関する質問に対する答弁書 対伊藤英成 二の1及び4のアについて]国際法上、一般に、「個別的自衛権」とは、自国に対する武力攻撃を実力をもって阻止する権利をいい、他方、「集団的自衛権」とは、自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利をいうと解されている。このように、両者は、自国に対し発生した武力攻撃に対処するものであるかどうかという点において、明確に区別されるものであると考えている。
- ↑ 第156回衆議院予算委員会9号12頁 内閣法制局第一部長
- ↑ 平成十六年五月二十八日提出質問第一一四号政府の憲法解釈変更に関する質問主意書 提出者嶋聡
- ↑ 内閣衆質一五九第一一四号衆議院議員島聡君提出政府の憲法解釈変更に関する質問に対する答弁書
- ↑ 第156回参議院武力攻撃事態への対処に関する特別委員会9号13頁 外務省条約局長サンフランシスコ平和条約と同時に締結された旧日米安全保障条約前文第4項は、「国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を承認している。」とした上で、「これらの権利の行使として、日本国は、日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」としていた。
- ↑ 第159回衆議院予算委員会2号6頁 内閣法制局長官
- ↑ 防衛省・自衛隊:憲法と自衛権
- ↑ 集団的自衛権 防衛省がHPの記述修正へ
- ↑ アキノ比大統領、日本の集団的自衛権行使を支持―安倍首相と会談
- ↑ 安倍首相、集団的自衛権の閣議決定を説明 NZ首相は称賛
- ↑ 歴史的な「集団的自衛権行使容認」に対するアメリカ、オーストラリアの冷めた視線 - 日本ビジネスプレス
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ テンプレート:Cite news
- ↑ ロシア外務省「安倍政権を注視」…集団的自衛権
- ↑ テンプレート:Cite news
参考文献
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite journal
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite book
- テンプレート:Cite
- テンプレート:Cite
関連項目
外部リンク
- Military and Paramilitary Activities in and against Nicaragua テンプレート:En icon - ニカラグア事件の裁判資料。国際司法裁判所発表。