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一柳 末昭(ひとつやなぎ すえあきら、寛政2年5月7日(1790年6月19日) - 文化9年10月17日(1812年11月20日))は、播磨小野藩の第7代藩主。
第6代藩主・一柳末英の次男。母は板倉勝承の娘。正室は稲葉弘通の娘。官位は従五位下、土佐守。
江戸にて生まれる。文化元年(1804年)7月5日、父が病を理由に隠居したため、その跡を継いだ。文化9年(1812年)10月17日に死去し、跡を弟の末周が継いだ。墓所は東京都渋谷区広尾の祥雲寺。
テンプレート:小野藩主