霧島酒造
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霧島酒造株式会社(きりしましゅぞう)は、宮崎県都城市に本社及び工場を置く、日本の酒造業者。
キャッチコピーは「くつろぎの霧島」。
目次
概要
社名及び銘柄の「霧島」の由来は、宮崎県と鹿児島県の県境に聳える霧島山から付けられた。
1916年(大正5年)、創業者の江夏吉助(えなつ きちすけ)が都城で芋焼酎の製造を始めたのが会社の起源である。
1955年(昭和30年)、工場近くで掘り当てた天然水を「霧島裂罅水」(きりしまれっかすい)と命名し、それ以降は一貫して「霧島裂罅水」で仕込んだ焼酎を中心に作り続けている。
「乙類焼酎」を「本格焼酎」の名称・表示にすることを提案したのは、二代目社長・江夏順吉(えなつ じゅんきち)で、1957年(昭和32年)に熊本県で開かれた「九州旧式焼酎協議会」での会議で「本格焼酎」の名称使用を提唱した。そして、1962年(昭和37年)の大蔵省令により法的にも「本格焼酎」の呼称が正式に認められた。
2009年(平成21年)にはユニクロ夏のメンズ限定製品である「伝統企業コラボTシャツ」に「黒霧島(デザインは商用のぼりに準じたもの)」が選出され、それ以降、絵柄を変えてほぼ毎年Tシャツが販売されている。
2012年(平成24年)、年売上高が初めて500億を越え、三和酒類を抜き焼酎メーカーで売上高日本一となる。
企業現況
工場・支社・営業所
工場
- 本社工場 宮崎県都城市下川東
- 志比田工場 宮崎県都城市志比田町(ブルワリー併設)
支店
沿革
- 1916年(大正5年)5月 創業
- 1949年(昭和24年)5月 株式会社に組織変更
- 1971年(昭和46年)9月 販売量の増加に伴い、工場を生産能力4万石に増設
- 1983年(昭和58年)5月 東京支店開設
- 1985年(昭和60年)3月 大阪支店を開設
- 1988年(昭和63年)4月 福岡支店開設
- 1996年(平成8年)12月 宮崎支店開設
- 1998年(平成10年)「霧の蔵ブルワリー」落成。「霧島ファクトリーガーデン」オープン。
- 2006年(平成18年)工場増設
- 2014年 宮崎県総合運動公園のサンマリンスタジアムなど5施設の施設命名権(ネーミングライツ)を獲得、10月より5年間を予定[1]
経営推移
2004年[2] | 2005年[3] | 2006年[4] | 2007年[5] | 2008年[6] | 2009年[7] | 2010年[8] | 2011年[9] | 2012年[10] | 2013年[11] | |
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売上高 | 176億円 | 207億円 | 235億円 | 299億円 | 368億円 | 428億円 | 472億円 | 486億円 | 515億円 | 518億円 |
業界内順位※1 | 第6位 | 第5位 | 第4位 | 第3位 | 第2位 | 第2位 | 第2位 | 第2位 | 第1位 | 第1位 |
当期利益 | 13億円 | 15億円 | 17億円 | 16億円 | 29億円 | 34億円 | - | - | - | - |
※1 焼酎部門の売上高の構成比率が50%未満の企業を除く。従って、当初から宝ホールディングス、2008年度からオエノンホールディングスはランキングから除かれている。
主要商品
- 本格芋焼酎「霧島」
- 同社の創業時から今日にかけて作られている芋焼酎。白麹。米焼酎の白霧島が販売終了してからは「白霧島」と言えばこちらを指すようになっている。黒霧島発売に合わせて、味が変更されている。
- 「黒霧島」
- 「赤霧島」
- ムラサキマサリ(紫優)と言う品種の紫芋で仕込まれる。ムラサキマサリは生産量が少ないため、限定販売で、毎年春と秋のみに出荷される。販売開始の頃はかなり出荷量が少なく、入手困難で高額のプレミアムが付くことも珍しくなかったが、近年はムラサキマサリの増産により、出荷量が増え、出荷直後であれば比較的容易に入手出来るようになり、プレミアムも落ち着いてきた。白麹。
- 「金霧島」
- 黒麹、冬虫夏草を使用している。スピリッツ類。
- 「黒宝霧島」
- 芋麹焼酎「吉助」
- 芋麹のみを使用した芋焼酎。「吉助」は創業者の江夏吉助の名前からつけられたもの。
- 本格芋焼酎「うまいものはうまい」
- 宮崎県産の素材にこだわった芋焼酎。
- 本格麦焼酎「ほ」
- 本格麦焼酎「博多うまいものはうまい」
- 福岡県限定発売。
- 本格米焼酎「花懐石」
- 本格そば焼酎「そば作」
- 地ビール「霧島ビール」
過去に存在した商品
- 本格焼酎「白霧島」(平成12年製造終了)
- 本格ライ麦焼酎「キリマンジャロ」