柳沢信鴻
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柳沢 信鴻(やなぎさわ のぶとき)は、江戸時代中期の大名。大和国郡山藩第2代藩主。郡山藩柳沢家3代。初代藩主柳沢吉里の四男。
信鴻の日記
隠居後に祖父の吉保が築いた江戸六義園に居住した。亡くなる間際まで『宴遊日記』・『松鶴日記』と呼ばれる日記を毎日欠かさず書き残した。天明・寛政期の政治社会状況が克明に記されているだけでなく、毎日の江戸(南関東)の天候が記されていることから、近年では天明の大飢饉の原因となった天候不順の実態解明にも役立てられている。
年譜
- 1724年(享保9年):吉里の四男として生まれる。
- 1737年(元文2年):将軍初御目見
- 1738年(元文3年):帝鑑間詰
- 1745年(延享2年):吉里死去、柳沢家相続
- 1773年(安永2年):隠居(10月3日)、六義園で隠居生活を送る。
- 1785年(天明5年):出家
- 1792年(寛政4年):死去、享年69