遠江久野藩
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遠江久野藩(とおとうみくのはん)は、遠州(現在の静岡県袋井市鷲巣上末本)に存在した藩。
藩史
戦国時代、この久野には豊臣秀吉がまだ名も知られていない百姓のとき、立身出世を求めて一時期、主君として仕えていた松下之綱が治めていた土地である。之綱は今川氏、次いで徳川氏に仕えていたが、天正11年(1583年)から秀吉の家臣として仕え、久野に1万6000石の所領を与えられた。
慶長3年(1598年)、之綱が死去し、後を子の松下重綱が継いだ。重綱は関ヶ原の戦いにおいては東軍に与して大垣城の牽制に務め、所領を安堵された。ところが、久野城の石畳を幕府に許可なく修理したことを咎められて、常陸国に懲罰的な移封を命じられた。これにより久野藩は、一時的に廃藩となる。
その後、久野の元領主であった久野宗能が戻ってきたこともあったが、子の久野宗朝の問題などもあって、旗本に転落し、後に御三家紀州藩家臣となっている。
代わって下野国富田藩から、北条氏重が1万石で入り、再び立藩する。氏重は徳川氏に仕えて駿河田中城番や二条城西惣門番などを努めた功績から、寛永17年(1640年)9月28日、1万石をさらに加増された上で下総国関宿藩に加増移封され、久野藩は完全に廃藩となった。
歴代藩主
松下(まつした)家
1万6000石。外様。
廃藩
北条(ほうじょう)家
- 北条氏重(うじしげ)【元和5年藩主就任-寛永17年9月28日移封】〔横須賀城番。田中城番。大番組頭〕