順帝 (南朝宋)
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順帝(じゅんてい、469年 - 479年)は、南朝宋の末代皇帝。姓は劉、諱は準。第6代明帝の第3子で、第7代後廃帝の弟。沈約の『宋書』后妃伝では、実際には明帝の弟・桂陽王劉休範の子とする。
471年(泰始7年)、安成王に封じられる。477年(元徽5年)、兄の後廃帝が殺された後に、蕭道成によって擁立された。名目上は皇帝ではあったが、実権は斉王・相国となった蕭道成に完全に握られていた。即位後、車騎大将軍・荊州刺史の沈攸之・司徒の袁粲らが蕭道成打倒に挙兵するが、ことごとく鎮圧される。
479年(昇明3年)4月、順帝は蕭道成に禅譲し、ここに宋は滅びて斉が成立する。司馬光の『資治通鑑』によると、順帝は宮殿を出る際、「後世生まれ変わっても二度と帝王の家には生まれまい(願後身世世、勿復生天王家)」と言って泣いたという[1]。退位後は汝陰王に封じられ、不臣の礼と宋の正朔を許されたが、1ヶ月後の479年5月、蕭道成により殺された[2]。
脚注
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