青木一典

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青木 一典(あおき かずつね、元禄10年(1697年) - 享保21年1月27日1736年3月9日))は、摂津麻田藩の第5代藩主。

第4代藩主・青木重矩の長男。正室は冷泉為経の娘。子に青木一都(長男)、青木見典(次男)、青木一新(三男)、娘(加藤明義室)、青木寅太郎(四男)、青木亀三郎(五男、近江唯念寺長寿・養子)、井上正岑(六男、井上貞高養子)。官位は従五位下、甲斐守、出羽守。

麻田に生まれる。幼名は寅之助。正徳3年(1713年)閏5月22日、父の隠居により家督を継いだ。享保21年(1736年)正月27日に40歳で死去し、跡を長男・一都が継いだ。法名は春徳院殿瑞海元活大居士。墓所は東京都港区白金台の瑞聖寺。

テンプレート:麻田藩主