町田顯
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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox Officeholder 町田 顯 (まちだ あきら、1936年10月16日 - )は、元最高裁判所長官。(第15代)山口県下関市[1]出身。好きな言葉は「自然体で生きる」。
最高裁判所事務総長、司法研修所長、最高裁判所首席調査官の三役のうち、ひとつも経験しないまま最高裁判所長官に就任したのは、町田と寺田逸郎のみである。
略歴
- 1955年 山口県立下関西高等学校卒業
- 1959年 東京大学法学部卒業
- 1961年 判事補任官
- 1971年 札幌地方裁判所判事
- 1973年 最高裁判所経理局主計課長
- 1975年 最高裁判所経理局総務課長
- 1977年 内閣法制局参事官
- 1983年 東京地方裁判所判事部総括
- 1984年 最高裁判所秘書課長兼広報課長
- 1986年 最高裁判所経理局長
- 1993年 千葉地方裁判所所長
- 1998年 福岡高等裁判所長官
- 1999年 東京高等裁判所長官
- 2000年3月22日 最高裁判所判事に就任
- 2002年11月6日、山口繁最高裁判所長官の退任に伴い、第15代長官に就任
- 2006年10月15日に定年退官
- 2007年11月 桐花大綬章受章
最高裁判事時代の個別意見
- 株主代表訴訟への取締役のための参加の申立てを認める判決に対して反対意見
- 管理職選考資格確認訴訟について在日外国人に資格を認める控訴審判決を破棄、原告敗訴を言い渡す
趣味
趣味はゴルフと、たまにテレビゲーム(ちなみに、2002年4月25日に第一小法廷で中古ゲームソフト売買を合法と認定した判決を下した5名の内の1名でもある)。