張外龍
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テンプレート:サッカー選手 張 外龍(チャン・ウェリョン、장외룡、1959年4月5日 - )は、韓国・ソウル市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴
韓国代表として、1982 FIFAワールドカップに出場。1986 FIFAワールドカップは予選で左ひざを負傷し、本大会には出場できなかった。この怪我により、翌年1987年に28歳で一時は引退したが、1989年にPJMフューチャーズにコーチ兼選手として入団した。
1999年に日本サッカー協会公認S級ライセンスを取得。2007年にはイギリスに留学。2009年から大宮アルディージャの指揮を執っていたが、2010年4月26日シーズン途中に成績不振のため辞任。
2011年から中国の青島中能監督に就任。2012年から大連阿爾濱の監督に就任したが、成績不振のため3カ月で解任。
エピソード
- 札幌時代、張はユース出身で当時売り出し中だったFWの新居辰基に対する期待が大きく、新居のことをフランチェスコ・トッティ(ASローマ)の愛称になぞらえて「コンサドーレの王子」と称していた。だが、新居は張の期待に反して札幌では伸び悩んだまま、2004年8月に酒気帯び運転で事故を起こして解雇されてしまった。新居が本格的に開花するのはサガン鳥栖への移籍以降になった。
- 2005年、仁川ユナイテッドFCを取り上げたドキュメンタリー映画『飛翔 Bisang』に出演している。この年仁川はプレーオフ進出という躍進を果たし、張はKリーグの最優秀監督賞を受賞した。
- 自身がかぶるキャップには座右の銘や好きな言葉が書かれている。
- 選手の誕生日にはケーキや花束の用意を欠かさないなど細かい気配りにこだわる。一方で礼儀に厳しく、グアムのホテルで偶然顔を合わせた際挨拶をしなかった小林大悟を叱責したことがある(二人の関係は高校時代の小林がヴェルディ川崎の練習に参加した時に会ったきりで、小林は張が自分のことを覚えていないだろうと思っていた。ちなみに小林は海外移籍の話が進んでおり、結局この後に張の下でプレーすることはなかった)。
- キリスト教の信者。勝利を挙げた試合後のインタビューは「神様へ感謝したい」の第一声から入るのが常。
- 選手がゴールを決めると、身をのけぞらせて喜ぶことがある。
- 日本語に堪能で、インタビューは日本語でそつなくこなす。
所属クラブ
- 1982年:大宇ロイヤルズ 入団
- Kリーグ優勝(1984年)
- アジアクラブカップ優勝(1985年)
- 1987年:大宇 2軍コーチ
- 1988年:亜洲大学 コーチ
- 1989年:PJMフューチャーズ コーチ兼選手
- 1992年:PJM ユース監督
- 1995年:鳥栖フューチャーズ トップチームコーチ監督代行
- 1996年:鳥栖フューチャーズ サテライト監督兼下部組織総監督
- 1997年:大宇ロイヤルズ トップチームコーチ
- Kリーグ優勝(1997年)
- 1999年:大宇ロイヤルズ 監督代行
- 2000年:ヴェルディ川崎 監督
- 実質的な指揮は総監督の李国秀が行った (李が日本サッカー協会のS級ライセンスを持っていないため)
- 2001年:コンサドーレ札幌 コーチ
- 2002年:コンサドーレ札幌 コーチ→監督(シーズン途中就任)
- 2003年:コンサドーレ札幌 コーチ→監督(シーズン途中就任)
- 2004年:仁川ユナイテッドFC ヘッドコーチ
- 2005年:仁川ユナイテッドFC 監督
- 2006年:仁川ユナイテッドFC 監督
- 2008年:仁川ユナイテッドFC 監督
- 2009年:大宮アルディージャ 監督
- 2010年:大宮アルディージャ 監督
- 2011年:青島中能 監督
- 2012年:大連阿爾濱 監督
代表歴
- 1978年:ユース代表、アジアユース優勝
- 1979年~1984年:韓国代表
- 1980年:アジア選手権準優勝
- 1981年:アジアオールスター代表
関連項目
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