ダラムシャーラー
テンプレート:Infobox Settlement ダラムシャーラー(テンプレート:Lang-hi; テンプレート:Lang-bo)はインドのヒマーチャル・プラデーシュ州にある都市。ヒマーチャル・プラデーシュ州の冬季の州都である。標高は1457m。2001年のインド政府による国勢調査によると人口19,034人。日本の報道ではダラムサラと表記されることが多い。ダラムシャーラーとはヒンディー語(サンスクリットに語源)で「法(ダルマ)の家」の意味である。
歴史
ダラムシャーラーは1848年にイギリスに支配された。1860年にはグルカの軽歩兵の兵舎がカーングラーからこの地に移転してきた。彼らは第一次世界大戦の活躍で知られた。インド総督のエルギン伯爵ジェイムズ・ブルースは1863年、当地で死亡した。1905年、カーングラー峡谷は大地震に見舞われ2万人が死亡した。
1959年に中華人民共和国支配下のチベットからダライ・ラマ14世が亡命して以降、今日に至るまでガンデンポタン(チベット亡命政府)の本拠地となっているマクロード・ガンジー(McLeod Ganj)や、カルマパが居住しているギュトー寺のあるシドゥバリ(Sidhbari)などの町が郊外にある。
マクロード・ガンジー
中国人民解放軍がチベットを軍事制圧したチベット動乱によって、1959年3月にラサを追われたダライラマ14世に対し、インド政府はダラムシャーラーを避難の地として提供し、1960年に当地でチベット亡命政府が発足した。ダラムシャーラーはヒンドゥー教と仏教が盛んな土地で、19世紀にはチベット人によって多くの僧院が建てられた。マクロード・ガンジーの地はかつてイギリス人がピクニックを楽しんだ高地であった。数万のチベット難民も当地に移住した。このチベット亡命政府の政庁が置かれ、ダライ・ラマの住居があるのがマクロード・ガンジーである。
「リトル・ラサ」(またはダラムシャーラーとラサを混ぜて「ダーサ」)と呼ばれるマクロード・ガンジーはダラムシャーラーの郊外の標高2,082mの山間にある。マクロード・ガンジー地区の人口はおよそ6万人。マクロード・ガンジーという名はイギリス領インド帝国のパンジャーブ州の州準知事であったドナルド・マクロード(Donald Friell McLeod)にちなんでいる。