本庄道矩

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本庄 道矩(ほんじょう みちのり、宝永6年1月25日1709年3月6日)- 延享2年9月8日1745年10月3日))は、美濃高富藩の第2代藩主。

初代藩主・本庄道章の長男。母は水島氏。正室は大田原扶清の娘。側室は松田氏、金沢氏。官位は従五位下・大和守。幼名は久太郎。

享保10年(1725年)、父の死去により跡を継ぐ。同年12月18日、従五位下・大和守に叙任。日光御祭礼奉行や大坂御加番代、大番頭などを歴任した。延享2年(1745年)9月8日、37歳で死去した。嗣子がなかったため、養嗣子の道倫が跡を継いだ。法号は円徳院覚誉本光涼然。墓所は東京都足立区伊興町狭間の法受寺(浅草の安養寺)。

テンプレート:高富藩主