出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
テンプレート:出典の明記
松山藩(まつやまはん)は、江戸時代前期、武蔵国松山(現・埼玉県東松山市、比企郡吉見町)周辺を領した藩。藩庁は松山城に置かれた。
藩史
徳川家康が関東入国すると、天正18年(1590年)に松平家広が松山城と1万石を与えられて立藩した。のちに3万石に加増された。しかし、家広は慶長6年(1601年)、25歳の若さで病死する。異父弟(父方でみると従兄弟にあたる)の忠頼が継ぐが、加増されて遠江国浜松城に5万石にて移封し、松山藩は廃藩となった。
歴代藩主
松平(桜井)家
譜代 1万石→3万石
- 松平家広
- 松平忠頼
テンプレート:江戸時代の藩