自由が丘検車区
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自由が丘検車区(じゆうがおかけんしゃく)は、かつて東京都目黒区自由が丘に存在した東京急行電鉄の車両基地。
概要
設立当時は2~3両の短編成であり、かつ編成分割が容易な両運転台車が多かったため、検修庫と有効長の短い留置線を複数有しており、小規模ながら検車区としての体裁を有していた。その後編成長が長くなるにつれて有効長確保のために留置線の本数が減少してゆき、余剰地は駐車場などに転用されていった。そして、大井町線の車両が20m車の5両編成に統一されると留置線は3本となり、有効長確保のための策として、珍品といえる三枝分岐器が設置された。これは踏切に隣接した観察容易な場所ゆえ、鉄道ファンの注目を集めていた。検車区機能は1966年に鷺沼検車区に移転して廃止され、「長津田検車区自由が丘車庫」に改称された。
車庫となってからも大井町線用車両が留置されていたが、2005年10月には3本のうち2本が撤去され、同時に特徴だった三枝分岐器も無くなった。また、2006年10月にはその跡地に商業施設「Trainchi(トレインチ)自由が丘」がオープンした。留置線撤去の理由は、急行運転実施に関連して2008年3月に実施された6両編成化などによる自由が丘駅のホーム有効長確保のためとされている。なお、当地に留置不能となった2本の編成は田園都市線梶が谷駅の引き上げ線と溝の口駅の4番線の留置に変更された。留置線自体は2007年11月15日をもっていったん廃止されたが、2009年に留置線1線の使用が再開され、5両編成1本を留置する。
沿革
- 1948年(昭和23年) - 目蒲線・大井町線・池上線を管轄する「目黒検車区」として奥沢に創設。
- 1958年(昭和33年) - 大井町線を管轄する自由が丘検車区として分離独立。
- 1966年(昭和41年) - 田園都市線延伸に伴い鷺沼検車区に移転。自由が丘検車区を自由が丘車庫に改称する。
- 1979年(昭和54年) - 鷺沼検車区が長津田に移転して長津田検車区となり、自由が丘車庫は長津田検車区管轄となる。
- 2005年(平成17年)10月19日 - 留置線の撤去を開始。
- 2006年(平成18年) - 留置線1本を残すのみとなる。跡地に商業施設「Trainchi(トレインチ)自由が丘」がオープン。
- 2007年(平成19年)11月15日 - 留置線廃止。留置線の機能は田園都市線梶が谷駅付近に新設された車庫に移転。
- 2009年(平成21年) - 留置線が1線復活。