ウィリアム・モリス (初代ナフィールド子爵)
初代ナフィールド子爵ウィリアム・リチャード・モリス(William Richard Morris, 1st Viscount Nuffield 、1877年10月10日–1963年8月22日) は、モーリス自動車会社の創立者であり、慈善家である。
モリスは、1877年にイングランドのウスターで誕生した。彼が3歳のとき、一家はオックスフォードのジェイムズ通り16番に転居した。
1912年にモリスは、ブル・ノーズド・モリスと名づけた自動車を設計し、オックスフォード郊外、コーリーの廃止された軍事教練カレッジで製造を開始した。第一次世界大戦の勃発において、発生途上にあった自動車工場は軍需物資生産へと割り当てられたが、しかし1910年において自動車生産は再開され、その年に400台であった自動車生産数は、1925年には56,000台へと上昇した。1919年より1925年のあいだに、モリスは、オックスフォードの工場に加えて生産を進めるため、アビンドン、バーミンガム、そしてスウィンドンにおいて工場を建造しあるいは購入した。モリスは、ヘンリー・フォードの大量生産技術を連合王国へと導入する先駆者であった。最初のモーリス・マイナーは、1929年に販売された。
1938年に、ナフィールド(モリス)は、破産したライレー(コヴェントリー)社および子会社のオートヴィア社をライレー一族から買収し、まもなく自身の企業であるモーリス自動車会社に売却し傘下企業とした。この年の暮れ、更にウォルスリー・モーター社が加わり、連結企業はナッフィールド・オーガニゼーションとよばれるようになった。
この企業体は1952年に、オースチン自動車会社と合併しブリティッシュ・モーター・コーポレーション(BMC)となり、更にジャガーと合併し、ブリティッシュ・モーター・ホールディングス(BMH)となる。1968年には、BMHを含めて、ほとんどすべての英国の自動車製造業者がまとまり、ブリティッシュ・レイランド・モーター・コーポレーションとなっていく。
モリスは1929年にナイトに叙され、1934年にはナフィールド男爵が授爵された。1938年に子爵が授けられた。モリスの逝去と共に、後継者の不在を理由として2つの爵位は断絶した。
モリスは、1904年4月9日にエリザベス・アンスティと結婚した。2人の間には子供がなく、その結果として、モリスは自身の財産の莫大な金額を多数の慈善事業のために費やした。モリスは1943年に、教育と社会福祉の前進を目的として、1,000万ポンドの寄付によって「ナフィールド基金」を創設した。モリスはまた、オックスフォード大学にナフィールド・カレッジを創立した。