ユルバン・ルヴェリエ
ユルバン・ジャン・ジョセフ・ルヴェリエ(Urbain Jean Joseph Le Verrier、1811年3月11日 - 1877年9月23日)はフランスの数学者、天文学者。未発見であった海王星の位置を計算によって予言した。天体力学を専門とし、生涯の大部分をパリ天文台で過ごした。
ルヴェリエは1811年、フランス西部のサン=ローで生まれた。
ルヴェリエの最も有名な業績は、天文計算と観測のみによる海王星の発見である。数学者フランソワ・アラゴの勧めによって、ルヴェリエは天王星の軌道運動の観測結果とケプラーの法則やニュートン力学から予言される運動との間の矛盾を説明するための計算を行った。彼と同時期にイギリスのアダムズも同じ計算を行っていたが、互いに相手の研究については知らなかった。ルヴェリエは計算結果をドイツのガレに報告し、1846年9月にガレは新しい惑星を発見した。発見位置はみずがめ座にあり、ルヴェリエの予言から1度以内の位置で見つかった(今日では海王星の発見者はこの三者であるとされているが、海王星発見の業績に関して三者の貢献をどう評価するかについてはかつて(ある程度は今もなお)議論があった)。
この発見に勇気付けられたためか、ルヴェリエは当時原因が不明であった水星の軌道の変動(近日点の移動)についても他の惑星の影響であると主張した。(この惑星はバルカンという仮の名前で呼ばれた。)これによって数多くの間違った観測報告が行われたが、後に1915年になってアルベルト・アインシュタインがこの特異な運動は一般相対性理論によって説明できることを示した。
クリミア戦争の際、暴風で黒海の英仏艦隊が壊滅したのを受けてヨーロッパ中の気象情報を収集して天気図を作成。その結果から、天気予報の必要性を政府に進言したことでも知られる。
ルヴェリエは1868年と1876年に英国王立天文学会ゴールドメダルを受賞した。二度目の受賞の翌1877年、パリで死去した。
現在、パリ天文台の正面玄関に、ルヴェリエの銅像が建てられている。また、エッフェル塔にその名が刻まれている。
月と火星のクレーターや海王星の環にルヴェリエの名前が付けられている。また小惑星(1997)ルヴェリエも彼にちなんで命名されている。