五辻家
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五辻家(いつつじけ)は、半家の家格を持つ公家(堂上家)。家系は宇多源氏庭田同祖。源時方(ときまさ)を祖とし、鎌倉時代初期の五辻仲兼以降に五辻家を称する。極官は従二位・非参議。家業は神楽。旧家。江戸時代の家禄は200石。居所は西殿町北側。菩提寺は洛東西方寺。
家祖の時方は左大臣・源雅信の子だが、五位少将まで昇進するも若くして出家、その後子孫は受領となり代々五位止まりであった。鎌倉時代初期の仲兼は四ヶ国の国司を務め従四位上まで昇進し、この頃より五辻の家号を称するようになった。仲兼以降は蔵人や北面武士を務める地下家だったが、室町時代末の天文7年(1538年)に五辻諸仲が従三位に叙せられて、堂上家に加わる。明治維新後、子爵。
支流に、明治維新後興福寺明王院住職から還俗した文仲が興した奈良華族の西五辻家、仲兼の孫・仲清を祖とする慈光寺家及びその庶流の中川家(二条家諸大夫)・三木家(伏見宮家諸大夫)、時方の玄孫にあたる仲親の子・仲康を祖とする春日家(久我家諸大夫)がある。