デヴィッド・ゲフィン
デイヴィッド・ローレンス・ゲフィン(David Lawrence Geffen 1943年2月21日 - )は、アメリカのレコード会社経営者、映画プロデューサー。アサイラム・レコード、ゲフィン・レコードの創設者として有名。
来歴
アサイラム時代
1960年代半ばにニューヨークにあるウィリアム・モリス・エージェンシーの社員としてキャリアをスタートした。独立後にローラ・ニーロを発掘し、そのマネージャーとなる。彼女の楽曲をフィフス・ディメンションやスリー・ドッグ・ナイトに売り込んだことをきっかけにロサンゼルスの音楽界に人脈を作り、1968年頃に同地に拠点を移す。
ゲフィン・ロバーツ・カンパニーを、ウィリアム・モリス・エージェンシーの後輩であるエリオット・ロバーツと共に設立し、クロスビー・スティルス&ナッシュを世に送り名声を得る。1970年に新人としてジャクソン・ブラウンをアトランティック・レコードと契約する際に、アトランティック・レコードはゲフィンにレーベルを設立することを勧め、その資金を半分出した。これがアサイラム・レコードである。
アサイラム・レコードはジャクソン・ブラウンの他、イーグルス、J.D.サウザーなどの新人を送り出すと共に、リンダ・ロンシュタットやジョニ・ミッチェルを他レーベルから移籍させ、大成功を得る。一時的だがボブ・ディランと契約していたこともある。1973年にアサイラム・レコードはエレクトラ・レコードと合併し、ゲフィンは新会社エレクトラ/アサイラムの社長となった。
ゲフィン・レコード時代
1975年にはグループ企業のワーナー・ブラザーズ映画に転出するが、間もなく病気療養の為に一時引退。1980年に業界に復帰した彼は、ゲフィン・レコードを設立。長らく引退状態にあったジョン・レノンの『Double Fantasy』を送り出し、再び華々しい成功を収める。その後も、エルトン・ジョンやエアロスミスといった大御所を他社から引き抜くと共に、ニルヴァーナ、ガンズ・アンド・ローゼズ、ベックといった若手をブレイクさせた。
また、ゲフィン・レコードに続いてゲフィン・フィルムズを旗揚げし、『ビートルジュース』『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』などの映画を送り出した。ブロードウェイ・ミュージカル『キャッツ』のプロデューサーの一人でもある。
ドリームワークス設立後
1990年にゲフィン・レコードをMCAに売却、1994年にはスティーヴン・スピルバーグ、ジェフリー・カッツェンバーグと共にドリームワークスSKGを設立した。
1996年にロサンゼルス現代美術館(MOCA)に500万ドルを寄付し、新館「テンポラリー・コンテンポラリー」の改装に寄与。その新館は「ゲフィン・コンテンポラリー・アット・MOCA」と改称された。