シルビア・クリステル
シルビア・クリステル(Sylvia Kristel、1952年9月28日[1] - 2012年10月17日[2])は、オランダ・ユトレヒト出身の映画女優で、モデル。
来歴
両親はユトレヒトで宿屋を経営していた[3]。妹が1人いる。2006年にフランスで出版された自叙伝「Nue」(英語のNude」) によると9歳の時に宿泊客にレイプされた。自叙伝ではドラッグやアルコールに溺れた生活や、歳の離れた男性に惹かれてしまう性癖が記されている。11歳の頃からヘビースモーカーで、14歳の時に父親が家を出ていき両親は離婚。17歳でモデルの仕事を始めた。1973年にはミスコンテスト「Miss TV Europe」で優勝している。テンプレート:要出典範囲、小学校では4学年を飛び級という経験もしている。言葉は、オランダ語、英語、フランス語、ドイツ語とイタリア語も話せるという、マルチリンガルな才能を持つ。1970年代半ばを通して、ベルギーの作家で27歳年長のフーゴ・クラウスと交際していた。1972年に『処女シルビア・クリステル/初体験』で映画デビュー[1]。
1973年にエマニュエル・アルサンの小説『エマニュエル』が大ヒットし、翌年それを映画化したソフトコア映画『エマニエル夫人』に出演し、世界的な名声を獲得する。
彼女は自らエマニュエルのような役を自分のはまり役と考え、しばしばこのような役を演じている。例としてチャタレイ夫人や第一次世界大戦での女性スパイ、マタ・ハリなどが挙げられる[1]。
彼女には、フーゴ・クラウスとの間に1975年に生まれたアーサーという息子が1人おり、彼もまた映画俳優になっている[4]。彼女は映画で競演したイアン・マクシェーンとともに、息子のアーサーを残して、アメリカ・ロサンゼルスに移住。アメリカでの女優としての成功を目指した。しかし、イアンとの5年間の同棲は結局破綻した。この間にコカインを覚えた。その後、2度の結婚を経験。相手はアメリカ人ビジネスマン(5ヶ月で離婚)と次は映画プロデューサーであった。その後、ベルギーのラジオ番組のプロデューサーと10年間ほど暮らした。10代前半からの喫煙の影響か、2002年に喉頭癌、2004年には肺癌の手術を受けている。
2008年9月、SMAP×SMAPにゲスト出演している[4]。
晩年はオランダのアムステルダムに居住。2012年6月に咽頭癌の手術を受け、その後に脳卒中で倒れてアムステルダムの病院に入院していた[4]。同年10月17日、入院先の病院で死去[5]。テンプレート:没年齢。
主な出演作品
- 処女シルビア・クリステル/初体験 FRANK AND EVA/FRANK EN EVA 81分 (1972)
- エマニエル夫人 EMMANUELLE 91分 (1974)
- 卒業試験 ES WAR NICHT DIE NACHTIGALL/DER LIEBESSCHULER/IT WAS NOT THE NIGHTINGALE 85分 (1974)
- 続エマニエル夫人 EMMANUELLE, L'ANTI VIERGE/EMMANUELLE: THE JOYS OF A WOMAN 91分 (1975)
- 夜明けのマルジュ LA MARGE 93分 (1976)
- 華麗な関係 UNE FEMME FIDELE 94分 (1977)
- さよならエマニエル夫人 GOOD-BYE EMMANUELLE 98分 (1977)
- エアポート'80 The Concorde ... Airport '79 113分 (1979)
- プライベート・レッスン Private Lessons 87分 (1981)
- チャタレイ夫人の恋人 Lady Chatterley's Lover 103分 (1982)
- プライベート・スクール Private School 97分 (1983)
- エマニュエル EMMANUELLE 4 93分 (1984)
- 魔性の女スパイ Mata Hari 108分 (1985、日本未公開)
- ドラキュラ・ウィドー DRACULA'S WIDOW 86分 (1986)
- Forgive me - Cyrus Frisch 01(2001)