池間島
池間島(いけまじま)は、宮古島の北西1.5kmに位置し、沖縄県宮古島市平良池間に属する面積2.83km²[1]、周囲10.1km[2]の島である。
地理
半農半漁の島で、2005年の国勢調査によると、人口は682人、332世帯が居住している。明治時代には人口が2,200人を数えたこともあった。南方には宮古島北西端の西平安名岬が望むことができ、北岸に1940年(昭和15年)初点灯の池間島灯台(灯火標高41m、光達距離18海里)がある。
島周辺には「干瀬(ビジ)」と呼ばれるサンゴ礁群が散在している。特に北東約15kmには、八重干瀬と呼ばれる巨大な干瀬があり、ダイビングスポットとしても有名である。
歴史
かつては2つの島であり、島と島の間には南北に細長い海峡が走っていた。16世紀の初め頃、その北側のイーヌ・ブー(北の入り江)と呼ばれる場所に狩俣の豪族、「四島の主」が石橋を架け二つの島を行き来できるようにした。それより程なくして堆積した砂によって石橋は埋もれてしまい、二つの島はつながって池間島になり、イーヌ・ブーの南側のかつての海峡は南北に細長い入り江となった。
1934年(昭和9年)に、干拓のために入り江の入口(現在の池間小学校・池間中学校のある場所)に防潮護岸が造成され、入り江は汽水の沼地となり、「ユニムイ」湿原と呼ばれるようになった。さらに、1963年(昭和38年)から1982年(昭和57年)にかけての漁港工事によって外海との水路が完全に遮断され、「ユニムイ」湿原は淡水化した。[3][4]現在では池間湿原とも呼ばれ、キシノウエトカゲなどの稀少な生物が棲息している他、渡り鳥の飛来地としても重要である。島全体が沖縄県指定の池間鳥獣保護区に指定されている。
文化・風習
琉球時代を彷彿させる風習が近年まで残されていたため、民俗学においても注目されている。
琉球王国時代(16世紀頃から)の御嶽信仰の風習を今でも色濃く残していることで有名である。大主神社(ウハルズ御嶽)には、池間島民より選出された五人の司(祭祀儀礼を行う女性)を中心とした祭祀集団が形成されている。
元(ムトゥ)と呼ばれる氏神をまつる場所が四箇所(真謝元・マイヌヤー元・上げ升元・前里元)があり、「ミャークヅツ」という祭りを毎年、旧暦の九月に三日間執り行う。元(ムトゥ)には、男性の祭祀集団が形成されており、祖父から父・父から子の順に祭祀集団が形成されてきた。なお、各ムトゥへの入会が認められてムトゥ・ヌ・ウヤになれるのは数え55歳からである。
産業
1906年 鮫島幸兵衛が鰹釣り漁業始める。かつては遠洋漁業が盛んで、カツオ漁が有名であったが、昭和50年代に排他的経済水域が設定されたこと等により、遠洋漁業は廃れてしまった。しかし現在でも、カツオを燻製にした鰹節はこの島の特産品となっている。
引用(北海道大学 カツカツ研ニュースレター 2001年10月24日 No.6特集 沖縄―人びととカツオ・かつお節)等
公共施設
- 宮古島市立池間小学校
- 宮古島市立池間中学校
- 池間郵便局
交通
名所・旧跡・観光スポット
脚注
関連項目
外部リンク
- 池間島 水浜広場 リンクサイト
- 池間島と灯台 探訪記と画像。
- イーヌ、ブー(北の入り江) 「ユニムイ」をめぐる回顧録。
- 池間島 沖縄39離島観光情報サイト