田沢湖
テンプレート:Infoboxテンプレート:ウィキプロジェクトリンク 田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある湖。日本で最も深い湖である。その全域が田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、日本百景にも選ばれている景勝地である。1956年(昭和31年)から2005年(平成17年)まで存在した自治体である田沢湖町の名の由来であり、現在も旧田沢湖町の区域の地名冠称として使われている。
地理
秋田県の中東部に位置する。直径は約6kmの円形、最大深度は423.4mで日本第一位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である(世界で最も深い湖はバイカル湖)。
湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。
湖畔を周回する秋田県道が3路線(秋田県道38号田沢湖西木線・秋田県道60号田沢湖畔線・秋田県道247号相内潟潟野線)整備され、湖畔の一部箇所では湖水浴場として認められており、海水浴場と同様な利用が可能となっている。
水深測定
田沢湖が深い湖であった事は昔から知られていたが、初めて測定されたのは1909年(明治42年)湖沼学者の田中阿歌麿が麻縄に重りをつけ沈めて、397mを記録した時だった。翌年秋田県水産試験場が同様に413m、1926年(大正15年)には田中舘愛橘がワイヤーロープで425mを記録した。1937年(昭和12年)から3年間行われた吉村信吉の調査では大まかな地形が明らかになった。湖底には2つの小火山丘があり、湖底平坦部の北西寄りに位置する直径約1kmのものを振興堆、南岸近くの直径約300mのものを辰子堆と命名した。また大沢地区の近くに傾斜50°・深さ300mの断崖があることも発見した。
水質
かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、1931年(昭和6年)の調査では摩周湖に迫る31mの透明度があり、水産生物も豊富であった。しかし、発電所の建設と農業振興(玉川河水統制計画)のために、別の水系である玉川温泉からpH1.1(但し、流入時点では pH3.3~3.5程度[1])の強酸性の水(玉川毒水・玉川悪水と呼ばれる[2])を1940年(昭和15年)1月20日に導入した結果、導入から約7年後には、pH 5.0~5.5、約8年後には、pH 4.3~5.3 へと酸性化が進行した。
酸性水を導入した結果、水力発電所施設の劣化も促進されたほか、農業用水も酸性化し稲作に適さなくなったため、農業用水(田沢疎水)の取水位置の変更や取水用水の中性化も行われた[3]。
1972年(昭和47年)から石灰石を使った酸性水の本格的な湖水の中和対策が始まり、1991年(平成3年)には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。湖水表層部は徐々に中性に近づいてきているが、2000年(平成12年)の調査では深度200メートルでpH5.14 - 5.58、400メートルでpH4.91と、湖全体の水質回復には至っていない。
生物相の変化
1940年以前に生息していたとされる主な魚類は、クニマス、ヒメマス(十和田湖より移入)、ウグイ、アメマス、ギギ、イワナ、コイ、ナマズ、ウナギ。
1940年の玉川悪水導入は魚類だけでなく、動物性プランクトンの分布相にも変化を与えている[1]。魚類は酸性に強いウグイが残り、酸性に弱いサケ科魚類[4]やコイは確認されなくなった[5][1]。一方、残存したウグイは優占種となったことで大型化した。
1948年の調査では、ウグイ、アメマス、ギギの生息が報告されている。生息が確認できなくなった魚類(サケ科魚類、コイ、ウナギ)の中には田沢湖の固有種であったクニマスも含まれており、開発によって絶滅したと長年のあいだ取り扱われてきた。しかし平成22年になって、山梨県の西湖での生存と、試験的に卵が放流されていた事実が確認されて、「クニマスの再発見」の一大ニュースとなった[6][注釈 1]。また、地元ではヒメマスのことを(アイヌ語の)「カバチェッポ」と称していた[7]。 テンプレート:See
中和対策実施後の生息魚類は、ウグイ、コイ、ギンブナ[8]。
成因
成因は分かっていないが、例えば深い窪地を形成する要因として一般的に下記の3種類があるが[9]、湖底地質調査が行えていないため成因は不明のままである[10]。
- カルデラ:近くの十和田湖のように巨大な噴火が起こって大量のマグマが抜けた跡の窪地。古い資料では、カルデラ湖と記載されていた。倶多楽湖、クレーターレークのように円形のものが多い。
- クレーター:バリンジャー・クレーターのように巨大な隕石が地上に衝突した名残。湖になっているものとしては、窪地の形が円形となっているものが多い。しかし、周辺から隕石口特有の高圧鉱物や磁気異常が確認できないことから否定されている[10]。
- 構造湖:四方を断層で囲まれた諏訪湖が代表例。断層運動によって形成された窪地。ただし、円形とはならないことが多い。
周囲の地質調査の結果、180万年前から140万年前の爆発的噴火によるカルデラとの説が有力である[11][12]が、田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されている[10]。
伝承
名称
田沢湖という名称は、明治時代に入ってから定着したと考えられている。それまでの資料では、田沢の潟、辰子潟などと記録されていた。それぞれの古名の由来は「田沢村の潟」という意味、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタプコプが変化した説などが考えられている。
いわゆる「辰子姫」(「辰子伝説」の節を参照)も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられている。それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は熊野神社信仰との関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である辰子潟から転じたとする説がある。
辰子伝説
テンプレート:See テンプレート:Vertical images list 田沢湖周辺には、(イワナを食い[13])水をがぶ飲みして龍の体になった辰子と八郎がやがてめぐり合って夫婦になったという伝説がある[13][注釈 2]。
田沢湖のほとり神成村に辰子(タッ子、または金釣(カナヅ)子ともいわれる[13])という名の娘が暮らしていた。辰子は類い希な美しい娘であったが、その美貌に自ら気付いた日を境に、いつの日か衰えていくであろうその若さと美しさを何とか保ちたいと願うようになる。辰子はその願いを胸に、村の背後の院内岳は大蔵観音に、百夜の願掛けをした。必死の願いに観音が応え、山深い泉の在処を辰子に示した。そのお告げの通り泉の水を辰子は飲んだが、急に激しい喉の渇きを覚え、しかもいくら水を飲んでも渇きは激しくなるばかりであった。狂奔する辰子の姿は、いつの間にか龍へと変化していった。自分の身に起こった報いを悟った辰子は、田沢湖に身を沈め、そこの主として暮らすようになった。
辰子の母は、山に入ったまま帰らない辰子の身を案じ、やがて湖の畔で辰子と対面を果たした。辰子は変わらぬ姿で母を迎えたが、その実体は既に人ではなかった。悲しむ母が、別れを告げる辰子を想って投げた松明が、水に入ると魚の姿をとった。これが田沢湖のクニマスの始まりという。
北方の海沿いに、八郎潟という湖がある。ここは、やはり人間から龍へと姿を変えられた八郎太郎という龍が、終の棲家と定めた湖であった。しかし八郎は、いつしか山の田沢湖の主・辰子に惹かれ、辰子もその想いを受け容れた。それ以来八郎は辰子と共に田沢湖に暮らすようになり、主のいなくなった八郎潟は年を追うごとに浅くなり、主の増えた田沢湖は逆に冬も凍ることなくますます深くなったのだという。
一部では、タッ子(辰子)には不老不死の願望があったが、のちに夫となる八郎にはその願望はなく、たまたま同じ行為にふけるうち、「唯、岩魚を食ひ、水を鯨飲してゐるうちに龍體となつてしまつた」とも語り継がれていた[13]。
なお、湖の北岸にある御座石神社には、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだと言われる泉がある。
田沢湖の湖畔には辰子伝説にまつわる像が4体あり、漢槎宮近くにある舟越保武作の「たつこ像」の他に、湖の東岸にある「辰子観音」、北岸にある「姫観音像」、御座石神社境内にある「たつこ姫像」がある。
姉妹湖
脚注
注釈
- ↑ 2010年(これがきっかけで、2011年(平成23年)11月に西湖との姉妹湖提携が行なわれた[6]。
- ↑ 武藤鉄城『秋田郡邑魚譚』、343頁では、単にタッ子がイワナを食してから、喉の渇きにまかせるままに水を飲みとあり、詳細な事情は記していない。
出典
関連項目
- 日本の湖沼一覧
- 御座石神社 - 室町時代に熊野権現を信奉する修験者によって開かれたと伝わる。
- 漢槎宮 - 別名浮木神社とも呼ばれる。このすぐ近くに舟越保武作の「たつこ像」がある。
- 秋田県の観光地
- 田沢湖マラソン - 毎年9月第3日曜に開催。湖岸をレースコースとする。
- たざわ湖スキー場 - 湖の北東にある田沢湖高原にあるスキー場。ゲレンデより田沢湖を望む。
- 田沢湖線
- 順弘子 - ご当地ソングである「みちのく 田沢湖 角館」を歌っている。
外部リンク
- 田沢湖観光協会
- 秋田県, 田沢湖周辺の火山岩の年代
- 吉村 信吉:玉川毒水の田澤湖に於ける流入状態 陸水学雑誌 Vol.11 (1941-1942) No.4 P151-156
- 溝口 三郎:田澤湖疏水計畫と玉川毒水問題 (其二) 農業土木研究 Vol.10 (1938) No.2 P191-207
- ↑ 1.0 1.1 1.2 佐藤 隆平:酸性化された田澤湖の夏季の生物相 陸水学雑誌 Vol.15 (1950-1952) No.3-4 P96-104
- ↑ 溝口 三郎:田澤湖疏水計畫と玉川毒水問題 (其一) 農業土木研究 Vol.10 (1938) No.1 P64-75
- ↑ 三浦 彦次郎:玉川毒水地下溶透化学除毒法の研究 (II) 農業土木研究 Vol.24 (1956-1957) No.1 P45-51
- ↑ テンプレート:PDFlink
- ↑ 上野 益三:田澤湖生物群聚の昭和14年夏季の状態 陸水学雑誌 Vol.10 (1940-1941) No.1-2 P106-113
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite web
- ↑ 武藤鉄城『秋田郡邑魚譚』、339頁
- ↑ テンプレート:PDFlink 国交省 河川整備基本方針検討小委員会 資料
- ↑ 赤井川盆地および田沢湖の成因に関する一考察(日本火山学会 1970 年春季大会講演要旨)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 狐崎長琅、山脇康平:主として磁気探査からみた田沢湖 物理探査 Vol.61 (2008) No.4 P323-335
- ↑ 鹿野和彦、 石塚治、 大口健志、 狐崎長琅:田沢湖カルデラに辰子堆溶岩ドームが噴出した時期(火山の物質科学(1),日本火山学会2008年秋季大会) 日本火山学会講演予稿集 2008, 18, 2008-10-10
- ↑ 田沢湖カルデラとその噴出物 日本地質学会学術大会講演要旨 114 pp.70 20070901
- ↑ 13.0 13.1 13.2 13.3 テンプレート:Citation