葦原金次郎
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葦原 金次郎(あしはら きんじろう、1852年 - 1937年2月2日)は、明治後半から昭和にかけて実在した日本の皇位僭称者。葦原将軍、葦原天皇、葦原帝とも呼ばれる。
生涯
金沢生まれの櫛職人であったが、24歳頃に誇大妄想症を発病した。病名については「躁病の誇大妄想」、「分裂病の誇大妄想」、あるいは「梅毒からくる進行麻痺の誇大妄想」など、医師によって診断が分かれる[1]。 1882年に天皇への直訴未遂事件を起こし、東京府癲狂院(1889年に巣鴨病院と改名)へ入院した。数度の脱走を繰り返した後1885年に再入院。彼の誇大妄想は日露戦争の戦勝とともに肥大化し、いつしか将軍を自称するようになった。さらに、昭和の頃には天皇を自称するようになった。1919年に松沢病院へ転院、以後1937年に88歳で亡くなるまで松沢病院で過ごした。 墓所は世田谷区の豪徳寺にある。戒名は至天院高風談玄居士。墓石には「自称芦原将軍として56年の生涯を狂聖として院の内外に名物男として知られ」と彫り込まれている。
逸話
病院に来る新聞記者や見物人に勅語を乱発しては売りつけたりした。乃木希典との会見や、伊藤博文に金を無心して無視された事もある。また、明治天皇が巡幸した際に、「やあ、兄貴」と声をかけたこともある[2]。日露戦争時、「相撲取りの部隊を出してロシア軍のトーチカを破壊せよ」と発言するなど戦前のジャーナリズムを大いに賑わす人気者であった。奇矯かつ過激な言動は格好のゴシップとなり、新聞記者の間では「記事のネタに困ったときは葦原将軍に話を聞きに行け」と言われたくらいであったという。
脚注
参考文献
関連項目
- ジョシュア・ノートン - 19世紀アメリカで皇帝を自称した。
- 熊沢寛道 - 戦後、正統な皇位継承者を主張した「自称天皇」。
- 筒井康隆 - 金次郎をモデルに短編小説『将軍が目醒めた時』を執筆
- 江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 - 精神病院患者としてワンカット登場する。
- 出久根達郎 - 処女作『古本綺譚』に傑作『狂聖・芦原将軍探索行』を収録。
- 呉智英 - 著書『賢者の誘惑』に、「都立松沢大学教授」として登場(なお呉の『バカにつける薬』文庫版172頁には金次郎、松沢病院に関して調査した旨が記載されている。)
- 東京都立松沢病院