大山寺 (大山町)
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テンプレート:日本の寺院 大山寺(だいせんじ)は鳥取県西伯郡大山町(大山隠岐国立公園内)伯耆大山中腹にある天台宗別格本山の寺。中国三十三観音第二十九番。山号は角磐山。本尊は地蔵菩薩。
歴史
大山寺は奈良時代に成立した山岳信仰の霊場であり、養老2年(718年)に金蓮上人が草庵をむすび地蔵菩薩を祀ったことが起源と伝わる。平安時代に入って天台宗が統括するようになり、西日本に於ける天台宗の一大拠点となった。寺の住職である座主は比叡山から派遣され、ここでの任期を勤めた後、比叡山に戻って昇格するという、僧侶のキャリア形成の場となった。
古くから信仰の道である大山道が岡山県岡山市から南北に整備され、途中出雲街道とも交差することもあって、信仰だけでなく、商業交通の面でも発展した。
中世には尼子氏・毛利氏などの戦国武将からも崇敬され、盛んに寄進や造営がなされた。江戸時代に入ると一時、中村一忠によって寺領の一部が没収されたが慶長15年(1610年)、西楽院の僧正豪円が幕府に働きかけたことにより大山寺領3000石が安堵された。
明治8年(1875年)廃仏毀釈により大山寺の号が廃された。大日堂(現在の本堂)に本尊を移し、本殿を大神山神社に引き渡した。これにより大山寺は急激に衰退した。明治36年(1903年)に大山寺の号が復活した。昭和3年(1928年)には4度の火災に見舞われた。
文化財
- 重要文化財
- 阿弥陀堂 - 寄棟造、柿(こけら)葺き。天文21年(1552年)建立。
- 木造阿弥陀如来及び両脇侍像 - 中尊像内の墨書銘から天承元年(1131年)良円の作と判明する。
- 銅造十一面観音立像 - 奈良時代
- 銅造観音菩薩立像 - 奈良時代
- 銅造観音菩薩立像 2躯 - 1躯は奈良時代、もう1躯は宋または遼時代
- 鉄製厨子 附:祈願文線刻鉄板3枚、鉄造地蔵菩薩頭部
他に紙本著色大山寺縁起(10巻)があったが、昭和3年(1928年)に焼失している。(精巧な模本や、写真などが現存する。)
交通アクセス
なお、終点の大山寺バス停は大山情報館1階にある。
前後の札所
関連項目
参考資料
- 『天台宗別格本山 角磐山 大山寺』 現地配布パンフレット