8.8 cm FlaK 18/36/37
8.8 cm Flugabwehrkanone | |
FlaK 37 | |
制式名 | FlaK 18, FlaK 36, FlaK 37 |
全長 | 5,791mm |
砲身長 | 4,938mm |
全高 | 2,100mm |
重量 | 7,407kg |
口径 | 88mm |
仰俯角 | -3~85度 |
旋回角 | 360度 |
発射速度 | 15-20発/分 |
有効射程 | 14,810m(対地目標) 7,620m(対空目標) |
最大射程 | 11,900m(対空目標) |
製造国 | ドイツ |
製造 | クルップ社 |
8.8cm FlaK 18/36/37 とは、第二次世界大戦前よりドイツ軍で使用され、同盟国にも輸出された 8.8 cm高射砲の18型、36型、37型のことを指す。これらの砲は同一の基本設計で、本来の対空戦闘任務以外にも、対戦車戦闘や陣地攻撃にも威力を発揮した。また、これを搭載した自走砲も作られ、高射砲型を改造した強力な戦車砲も開発され、同じく活躍した。8.8cm高射砲を輸入または捕獲使用していたスペイン、ポルトガル、ユーゴスラヴィア、アルゼンチンでは、戦後になってもしばらくの間使用が続けられていた。
ドイツ語では 8.8 cm Flugabwehrkanone と呼ばれる。独特な発射音から、連合軍は、eighty-eight と呼んで恐れ、ドイツ軍将兵はその音を聞くと「Acht-Acht (8-8、アハト・アハト)だ!」と沸いたという。
ヴェルサイユ条約軍備制限条項
第一次世界大戦以降、航空機の技術は大幅な発展を遂げ、以前と比較するとはるかに高高度を飛び、速度も向上していた。そのため各国では対空兵器も大幅な能力の向上を求められることとなり、ドイツでも新型対空砲の開発を進めることとなった。帝政ドイツ軍でも、1917年にクルップ社及びエーアハルト(後のラインメタル)社によって開発された口径8.8cmのKw FlaKを配備した。これは後世の高射砲のスタイルの原型となったもので、水平スライド式の尾栓で自動排莢、全周旋回可能な十字型砲架を持ち、水平射撃も可能であった。しかし第一次世界大戦敗戦によりヴェルサイユ条約の軍備制限条項によって、高射砲を含む殆どの兵器の自国生産や新規開発を禁止されていた。このためドイツの兵器メーカーであるクルップ社の設計チームは、同社が株主になっていたスウェーデンの兵器メーカーであるボフォース社と共同で、極秘のうちに新型対空砲の開発を行った。そしてこのチームは1931年に本社に戻り、スウェーデンで製作した高射砲の発展型の開発を提案した。
8.8 cm FlaK18,36,37 の登場
当時ボフォース社で量産され、英国などに輸出された高射砲は口径が75 mmであった。そこでクルップ社の設計チームはこれをベースに、ドイツ軍標準口径である8.8 cmに拡大、より量産に適したものに改良することにした。1928年には8.8 cm FlaK 18を開発、これは1分間に15-20発という優れた発射速度を発揮した(当時の標準的発射速度に比べれば、倍である)。FlaK18とは1918年に生産開始、もしくは部隊配備した高射砲を意味するが、ヴェルサイユ条約で新規開発と保有が禁じられていた兵器であったため、この砲は第一次大戦中に既に生産開始されていた、という欺瞞工作として命名された(これは高射砲に限ったことではない)。そして1935年の再軍備後のドイツ軍の制式高射砲として採用、空軍と陸軍に配備された。なおドイツでは、高射砲は元来空軍の管轄下にある火砲であり、8.8cm高射砲も陸軍より多く、生産数の3/4が配備された。後に陸軍高射砲部隊(Heeresflak)も数を増やし、大戦中期より機甲師団に編入されてもいる。歩兵師団の管轄下にあったものは少なく、独立重対戦車(戦車駆逐)中隊に配備され、対戦車砲という扱いで例外的に配備されたものであり、対空射撃に必要な指揮標定装置や時限信管付対空榴弾は持たされておらず、本来の高射砲としての運用はできなかった。
続いてクルップ社は、FlaK18のスペイン内戦での実戦経験をもとに改良を加えた8.8cm FlaK 36を開発した。主な特徴は、発射方向の切り替えを電源で行うことができ、砲身の交換も簡単にできるように改良された点である。また砲車も改良され、砲の前後に関係なく取り付けることができるようになり、移動を迅速にした。ただしコンクリート砲床等に固定設置された事例もあり、こちらは8.8cm FlaK 36/2と称された。[1]砲架の生産が追い付かなかった為に余剰が発生した8.8 cm FlaK 41の砲身に、アダプターを介してFlaK36の砲架と取り付けた8.8 cm FlaK 36/41というバリエーションも存在した。[2]
さらに派生型として、観測点から砲へデータを送る機械式アナログコンピュータというべき装置「コマンドゲレーテ」を加えた8.8cm FlaK 37も開発された。主に多種目標を相手にする野戦用としてFlaK36が、固定陣地での防空任務専用としてFlaK37が配備された。なお。8.8 cm Flak18,36,37の砲身はそれぞれに互換性があり、古い砲架に新型の砲身、あるいはその逆で使用されている例が確認できる。またFlaK41実用化までの暫定処置として、薬室を拡大して砲口制退器付きの新型砲身に換装した8.8 cm FlaK 37/41が登場したものの、完成した頃にはFlaK41が量産に移行しており、製造数は試作品の12門に留まった。[3]
対空砲として開発された8.8 cm砲であったが、同時に優れた対戦車砲としての能力も有していた。当初より対戦車砲としての使用を考慮して開発された本砲であるが、スペイン内戦での経験によって改めてドイツ軍はその対陸上戦闘能力を確認した。1937年からは野砲や対戦車砲として地上目標への攻撃に使われることが多くなり、最終的には任務全体の93%にものぼったという。この時の経験により、対戦車戦闘向きな直接照準器や、タングステンを用いる硬芯徹甲弾(APCR)のPzGr.40が開発された。
装甲貫徹力[4] | |||||||||
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比較対象 | 砲弾 | 角度 | 射程 | ||||||
略称 | 弾薬 | 重量 | 初速 | 弾着角 | 100m | 500m | 1,000m | 1,500m | 2,000m |
8.8cm FlaK 18 8.8cm FlaK 36 8.8cm FlaK 37 |
Pzgr | 9.5kg | 810m/s | 60° | 97mm | 93mm | 87mm | 80mm | 72mm |
Pzgr.39 | 10.2kg | 800m/s | 60° | 127mm | 117mm | 106mm | 97mm | 88mm | |
Pzgr.40 | 7.5kg | 935m/s | 60° | 165mm | 137mm | 123mm | |||
8.8cm KwK 36 | Pzgr.39 | 10.2kg | 773m/s | 60° | 120mm | 110mm | 100mm | 91mm | 84mm |
Pzgr.40 | 7.3kg | 930m/s | 60° | 171mm | 156mm | 138mm | 123mm | 110mm |
第二次世界大戦における8.8 cm砲
長い射程と正確な照準で絶大な威力を発揮した8.8 cm砲は、第二次世界大戦開始以降、ヨーロッパにおける東西戦線及び北アフリカ戦線で使用された。スペイン内戦での活躍と同様に、さまざまな任務に使用できる多用途砲として絶大な威力を発揮した。
1940年のフランス侵攻時、ドイツ陸軍はイギリス軍のマチルダII歩兵戦車やフランス軍のルノーB1といった重装甲の戦車に苦戦した。第7装甲師団がアラスでこれら連合軍戦車の反撃をうけた際、師団長ロンメル将軍が8.8 cm FlaK18で編成された空軍野戦高射砲部隊(一説には陸軍の 10.5cm 野砲隊)に命じ、敵戦車を撃退している。
後にそのロンメル率いるアフリカ軍団は、1941年5月の英軍の「ブレヴィテイ作戦」を迎え撃ち、ハルファヤ峠をめぐる戦いでは8.8 cm Flak18がマチルダII歩兵戦車を数十輌撃破している。これは砂漠特有の陽炎のため、遠くで砲身だけを出して構えている敵砲が見えづらいのと同時に、当時のイギリス戦車の搭載砲が対戦車用の徹甲弾しか撃てず、軟目標に対して効果のある榴弾が撃てなかったのも原因だった。また「バトルアクス作戦」においても、一個中隊の8.8 cm砲により90輌近い英軍戦車が失われ、以後も全戦域にわたって対戦車戦闘に大活躍している。
この他、後退中の空軍野戦高射砲部隊に対し陸軍や武装SSの将校が、本来は対空任務であることを主張しその場を去ろうとする空軍将校に銃を突きつけてまで対戦車戦闘を強要、結果かなりの戦果を挙げて戦線崩壊の危機を救ったケースがいくつか記録されている(中には味方のティーガーまで誤射、撃破してしまった例もあるが)。[5]
8.8cm 砲の高い装甲貫徹能力から、同砲をもとに改造された戦車砲を搭載したティーガーI戦車が1942年に配備された。また、より強力な砲弾(従来型とは互換性が無い)を用い、より長い砲身を持つ高射砲であるラインメタル社の8.8 cm FlaK 41や、姿勢の低い全周砲架を持つクルップ社の対戦車砲8.8 cm PaK 43が開発され、後者の車載型がエレファント重駆逐戦車やティーガーIIの主砲として搭載された。さらにPak43の砲身に野砲のものを拡大改良した砲架、榴弾砲から流用された車輪と砲脚を持つラインメタル社の8.8 cm PaK 43/41(71口径 8.8cm 対戦車砲)も作られ、III/IV号対戦車自走砲ナースホルンに搭載されたものもあった。これらの対戦車砲型は高射砲型よりコストパフォーマンスが高く、大戦末期の抵抗に貢献した。しかし対戦車砲としては巨大で牽引車輌が無いと移動できないため、撤退戦で放棄される物も多かった。これらを鹵獲したソ連軍がこれを用いた部隊を編成して運用した。
なお、日本軍は1937年に中国で鹵獲した8.8cm砲をデッドコピーして九九式八糎高射砲として採用しているが、これは同じクルップ社製ではあるものの、ドイツ海軍向けの艦載および陣地固定式高射砲である8.8 cm SK C/30であり、ドイツ空軍向けの野戦高射砲であるFlaK18等とは全くの別物である。同砲は写真が少なく形状があまり知られていなかったため、口径とメーカー名から混同され「FlaK18のコピー」とする日本語記事が多い。
脚注
- ↑ 光人社NF文庫『ドイツの火砲 制圧兵器の徹底研究』(広田厚司/著)P242
- ↑ 大日本絵画『オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の戦車イラストレイテッド27 8.8cm対空砲と対戦車砲1936-1945』(ジョン・ノリス/著 マイク・フラー/カラー・イラスト 山野治夫/訳)P10
- ↑ 大日本絵画『オスプレイ・ミリタリー・シリーズ 世界の戦車イラストレイテッド27 8.8cm対空砲と対戦車砲1936-1945』(ジョン・ノリス/著 マイク・フラー/カラー・イラスト 山野治夫/訳)P12
- ↑ Peter Chamberlain, Hilary L. Doyle, Encyclopedia of German Tanks of World War Two, Arms & Armour Press, 1978
- ↑ 例えば1944年7月、フランスのカニーにおいて、陸軍第125機甲擲弾兵連隊長ハンス・フォン・ルック(en)少佐は8.8cm砲4門を率いる空軍の大尉に対し、拳銃で「死ぬか勲章をもらうかどっちかだ」と脅し、結果イギリス軍のシャーマン戦車4輌と装甲車輌14輌を撃破させている。(出典・大日本絵画刊 バトル・オブ・カンプグルッペ)
関連項目
- 高射砲
- 2cm Flakvierling38
- 海洋堂 - 2013年4月現在、実物を保有している。