伊東祐鐘
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伊東 祐鐘(いとう すけあつ、1772年5月11日(明和9年4月9日) - 1798年3月30日(寛政10年2月14日))は、日向飫肥藩の第10代藩主。
第9代藩主・伊東祐福の長男。母は中川久貞の娘。正室は稲葉弘通の娘。子に伊東祐民(長男)、伊東祐丕(次男)。官位は従五位下、左京亮。
江戸にて生まれた。天明元年(1781年)、父の死去により跡を継いだ。藩政改革に着手し、「杉方部一法」という山林・植林制度を確立した。天明の大飢饉による農民救済と財政再建のため、寛政元年、植木方の石那田実右衛門により大規模な植林が行われ、その収益を救民に充てた。寛政10年(1798年)2月14日、27歳の若さで死去し、跡を長男・祐民が継いだ。