黒田長清
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テンプレート:基礎情報 武士 黒田 長清(くろだ ながきよ)は、筑前直方藩(福岡新田藩)の藩主。黒田光之の四男。
寛文7年(1667年)6月26日、江戸麻布の藩邸に生まれた。元禄8年(1688年)、兄の綱政が本家の福岡藩を継いだとき、筑前鞍手郡内に5万石を分与され、福岡新田藩を立藩した。綱政の死後、本家の家督はその子・宣政が継いだが、宣政は生来から病弱で政務を執れず、嗣子もいなかった。このため、長清の長男・継高がその養嗣子となり、長清は宣政の後見人となった。享保5年(1720年)2月23日、江戸麻布の藩邸にて死去。享年54。継高は本家を継いでおり、他に嗣子が無かったため、ここに直方藩は廃藩となり、その所領は福岡藩に還付された。