明治節
明治節(めいじせつ)は、昭和前期の日本における祝祭日(休日)で、明治天皇の誕生日。四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つ。毎年11月3日。
経過
戦前
明治期には天長節だった。当初は旧暦9月22日で、明治6年の改暦以降は新暦に換算した11月3日となった。
大正期には明治天皇崩御日である7月30日が明治天皇祭(先帝祭)となっていた。しかし、天長節も先帝祭も天皇の在位に応じて変動することから、1925年(大正14年)に「明治節」の請願運動が起こり、2万人の署名が帝国議会に上げられた[1]。衆議院では満場一致で可決されたが、当時は大正天皇が病臥していたため、貴族院での審議は中断された。そして、1927年(昭和2年)3月4日に当時の休日法「休日ニ関スル件」が改正されて、明治天皇が名君とされ近代日本の礎を築いたという功績を偲び、祝祭日に設定された。
また、大正天皇誕生日が盛暑期であることを理由に天長節祝日が追加設定されて、大正期は休日が1日多くなっていたが、大正期限定の天長節祝日は昭和期に入ると廃止されて休日が1日減ってしまうため、明治節がその穴埋めの役割も果たすことになった。
戦後
1948年(昭和23年)7月20日に現行の休日法「国民の祝日に関する法律」(祝日法)が施行、同時に「休日ニ関スル件」が廃止された。しかし、11月3日は以降も休日となっている。現在の「文化の日」であるが、これは1946年(昭和21年)の日本国憲法公布にちなんで制定され、1948年(昭和23年)に公布されたもので、明治節とは直接の関係はないとされる。ただし、1948年(昭和23年)2月26日の国会での議事録には、祝祭日の改正の議論において、明治節を通じて「明治時代を永久に思い出して行きたい」との趣旨の答弁がされており、制定にあたっては実際には関係がないとは言えない[2]。
祝日法は「祭日」の概念を採用しないため、崩御日を記念した神武天皇祭と先帝祭(施行当時は大正天皇祭)は、明治初期から続く休日であったにもかかわらず廃止となった。
歴代天皇の崩御日ではなく誕生日を記念した休日は明治節が最初である。同類のものには、関係の有無は別として、昭和天皇の崩御日ではなく誕生日を記念した「昭和の日」(当初は「みどりの日」)がある。