松平宣維
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2013年10月14日 (月) 18:31時点における119.240.150.70 (トーク)による版
テンプレート:基礎情報 武士 松平 宣維(まつだいら のぶずみ)は、出雲松江藩の第5代藩主。直政系越前松平家宗家5代。
生涯
元禄11年(1698年)5月18日、第4代藩主・松平吉透の次男に生まれる。宝永2年(1705年)10月26日、父の死去により家督を継ぐ。初名は直郷(なおさと)。治世では災害による天災から財政難に悩まされ、継室との婚礼資金ですら窮する有様で、婚礼を延期したほどである。このため宣維は藩政改革に取り組む。税制を定免制度に改め、ハゼ栽培やロウ製造にも着手した。また、出雲の沿岸一帯に異国船が多く出没したため、その打払いにも務めている。藩札も発行したが、これが原因で後に札騒動が起こった。正徳2年(1712年)2月21日、将軍徳川家宣より偏諱を授かり、直郷から宣維(宣澄とも)に改名、従四位下に叙位、侍従に任官する。また出羽守を兼任する。享保元年(1716年)11月13日、左近衛権少将に転任する。出羽守如元。享保5年(1720年)6月13日、隠岐国の治政を幕府より委ねられ、以後、歴代藩主が相伝した。享保16年(1731年)8月27日に死去した。享年34。跡を長男の宗衍が継いだ。